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連載《法華経は佛教の生命「仏種」である。》
―IT時代の宗教―第2章 第29話

掲載日 : 2012/7/10

妙法蓮華経分別功徳品第十七

寿量品の功徳を説き分ける

 前品「寿量品」に於ては、本仏釈尊の寿命の長遠なることと同時に、自分達の生命も釈尊の生命のごとく永遠であることが説かれました。そして、「寿量品」こそは大乗仏教の真髄・仏教の生命であり、素直に法華経信仰の道に入れば、どれだけの功徳が頂けるかということについて、当品では具体的に例を挙げて、その功徳の大なることを分別して説かれていますので、「分別功徳品」と申します。

 釈尊が「寿量品」の功徳を説明されますと、虚空の中から美しい紅白の蓮華の花が釈尊と多宝如来に降りかかり、次いで諸の菩薩他一切の人々にも降りそそぎ、虚空の中から天鼓が自然に鳴り響きました。すると諸天はもろもろの瓔珞(ようらく)を垂れ、立派な香炉に栴檀の香を薫いて、大衆の心を清めました。菩薩達は七宝の旛蓋を手に持ち、妙なる音声を以ってみ仏の徳を称讃しました。

 また、み仏の前には立派な勝旛がかけられました。勝旛とは、当時インドのバラモン僧達が法論に勝った時に家の門に旗を立て、法論に勝った印としたものであります。これらは、何れも釈尊の寿命の無量なることと、「寿量品」の功徳の大なることを聞いて喜んだ人々の、心の有様を物語るものです。

    

四信と五品の功徳

 「涌出品」のところでご説明しました通り、「涌出品」の後半と「寿量品」一品、「分別功徳品」の前半までを「一品二半」と申し、法華経二十八品の中で一番重要な本門の正宗分ですが、「分別功徳品」の後半から「普賢菩薩勧発品」の終りまでは、本門の流通分と申します。流通分とは、「寿量品」の功徳を後世に広宣流布することであります。釈尊はこの流通分に於て、有名な「四信と五品」の功徳をお説きになります。「四信」とは、一念信解・畧解言趣・広為他説・深信観成の四つです。「五品」とは、初随喜・読誦・説法・兼行六度・正行六度の五つであります。

 まず「四信」の第一の「一念信解」とは、「寿量品」の尊いこと、功徳の大なることを聞いて喜びと感謝の念が起きただけでも、大きな功徳を頂けるということです。これを一念信解の功徳と申します。

 次に「畧解言趣」とは、釈尊のみ教えのことばの意味、すなわち「寿量品」は仏教の"生命(いのち)"であり魂魄であると申されたことばの意味を、理解する功徳の大なることを申します。

 第三の「広為他説」とは、お導きの功徳で、「寿量品」の尊く有難いことを積極的に広く、他の人々に向かって説くと共に、心と身体で実行すれば自然に人を感化するものです。つまり身・口・意に、法華経を行ずることの功徳の大なることを申します。

 第四の「深信観成」とは、「寿量品」の尊い意味を会得して深く心に信ずると、人生や世界に対する見方が変り、今までの凡夫としての物の考え方でなく、仏としての考え方が自分のものとなり、人生観・世界観が見違えるほど立派になることを申します。

 次に、「五品」の第一が「初随喜」であります。これは、初めて「寿量品」の有難いことを聞いて素直に喜びの心を持ち、教えに随うことを言います。つまり、先祖からの方便の信仰より法華経の信仰に入った、喜びの心であります。

 第二の「読誦」とは、法華経を読誦すれば、ご先祖に対しては何よりの功徳となり、自分も大きな功徳と福運を積むことになります。「読」とは、お経を見て読むことで、「誦」は暗誦することです。毎日「寿量品」を読誦すれば、もろもろの悪因縁も消滅して幸せになります。

 第三の「説法」とは、「寿量品」の尊く有難いことを、人に対してことばや文章で説く功徳の大なることを申します。

 第四の「兼行六度」とは、「寿量品」に対する信仰を日常生活の中に生かすことで、「六度」とは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智恵の「六度の行」のことです。自分の本業の他に一つでも兼ねて、自分の能力に応じて実行する功徳の大なることを申します。 

 第五の「正行六度」とは、「六度の行」を兼行でなく正しく実行することです。この菩薩行を完全に実行できれば、「寿量品」の限りない大功徳が頂けるのであります。

    

一念信解の功徳

 日蓮聖人はこの「一念信解」を、法華経の名前だけを聞いて信心ごころを起こした程度の、「無解有信(むげうしん)」の名字即の位と規定され、末法の今日に於ける法華信者は、唯"南無妙法蓮華経"とお題目を唱えるだけで、成仏できると指南されています。言い換えれば、末代初心の信者はお題目を受持する以外に、成仏の道は無いということです。

 私達凡夫の一念の心には、迷いの雲がかかっていますので、この雲を払いのけねばなりません。釈尊の金言と日蓮聖人のみ教えを素直に信じて、心と身体に実行することが「一念信解」であります。

 日蓮聖人は『守護国家論』〔(定)一〇八(縮)二四二(類)一四三五〕に、次のように明確に断じられています。
 「分別功徳品に、尓前四十余年の八十万億劫の間、檀・戒・忍・進・念仏三昧等、先きの五波羅蜜の功徳を以て、法華経の一念信解の功徳に比するに、一念信解の功徳は、念仏三昧等の先きの五波羅蜜に、勝るること百千万億倍なり。」

    

長寿にして衆生を度せん

 昔から、人の住む家には"採光通風"と言って、日光がよく入り風通しが良ければ健康的でありますが、日光の入らない家には、いつも医者が入ります。身体の健康には日光が良いことは誰でも知っていますが、心の健康法を知らない人が多いようです。釈尊は「寿量品」を説いて、長寿の秘訣を教えられたのであります。「寿量品」の「良医病子の喩え」に説かれている通り、釈尊出世の本懐であり、大乗仏教の真髄である法華経以外のお経は、全て心と身体を害う毒と申されています。この毒は麻薬と同じで、知らぬ間に心と身体を害ねます。私達の慈父釈尊は、病子である一切衆生に「寿量品」という是好良薬を残されたのです。今こそ素直な心で、権経方便の邪法・邪師の邪義と、正法・正師の正義との違いをよく噛み分け、分別して功徳を頂かねばなりません。

 前にも申しましたが、百十二代霊元天皇は法華経のご信仰篤く、後陽成天皇のご冥福のため仙洞御所で法華経を読誦され、後光明天皇のご冥福のため法華八講を修され、後水尾天皇の五十回聖忌には「如来寿量品」を読誦してご回向されています。また、法華経二十八品に亘り一品に三首ずつ、合わせて八十四首の『法華経二十八品和歌』を詠じられています。その中で、「分別功徳品」の「此の経典を頂受して、願くば我れ未来に於て、長寿して衆生を度せん。」の文意に寄せて、
   かぎりなき 命を誰も得てしがな 御法の末を 世に説かむため
と御製されています。

 また選子内親王は、「雨天曼陀羅……如鳥飛空下・供散於諸仏。」の一文を、
   いろいろの 花散り来れば雲井より 飛びかふ鳥と 見え紛ひけん
と詠じられています。伝教大師も「分別功徳品」の経意を、
   我がいのち 長しと聞きてよろこべる 人はさながら 仏とぞなる
とお詠みになっています。

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