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連載《法華経は佛教の生命「仏種」である。》
―IT時代の宗教―第2章 第13話

掲載日 : 2011/2/25

妙法蓮華経化城喩品第七

十六王子の覆講(ふこう)法華

 当品では、後からご説明する「化城宝所の喩え」によって、一仏乗真実の法華経はこの世の宝であり、一切衆生が成仏するためには、法華経の一念三千の仏種を心田に下種せねばならないということを、具体的な喩えを以って説き示されます。

 当品は、上根に対する法説周・中根に対する譬説周・下根に対する因縁説周という三周説法の中の、下根に対する因縁説周に当たります。前の「授記品」は、「我及び汝等が宿世の因縁、吾今当に説くべし。汝等善く聴け。」というおことばで終わっていますが、これを受けて「化城喩品」のご説法が始まるのであります。宿世の因縁と申しますのは、この法華経の法座に列なる釈尊とお弟子達との人間関係は、決して現世のみのことではなく、古く遠い過去から現在につながっている〝いわれ〟というような意味です。

 久遠本仏釈尊が、三千塵点劫という遠い昔、大通智勝如来としてこの世にご出現になった時のことです。この大通智勝仏は、ご出家なさるまで国王であり、大変聡明で頭の良い十六人の王子がありました。この国王が、出家して菩提樹下の獅子座に結跏趺坐し、諸法の実相を観照して、この世の中の全ての存在は、妙法の教えに帰結することをお覚りになったのであります。

 その時、世界は六種に震動し、光明普く照らし、諸天は天華を雨らし、香風吹き来たり、天鼓を撃ち、妓楽を奏して大通智勝仏の成道を祝福し、供養恭敬致しました。この未曾有の尊い光景を目の当たりに拝した、十六王子を初め諸の梵王は、一心にみ仏を合掌礼拝して、転法輪すなわちご説法を請い奉ったのであります。大衆の請願に応じて、み仏は初めに方便の教えを説き、最後に出世の本懐たる法華経をご説法になりました。十六王子は、そのご説法に感激して出家沙弥(しゃみ)となり、代る代る法座に登って法華経を講じ、衆生を済度しました。これを、十六王子の「覆講法華」と呼んでいます。「覆講法華」とは、何度も繰り返して法華経の説法をすることです。

 その時の、十六王子の第十六番目が釈尊で、この地球娑婆世界の教主であります。十六王子の第十六番目である教主釈尊によって説かれた、仏教の真髄が法華経であり、法華経二十八品の魂魄(こんぱく)が、「如来寿量品」第十六であり、この「寿量品」のお題目を、不惜身命で弘通された日蓮聖人のご降誕が、二月十六日であります。更に皇室の御紋が十六弁の菊であることは周知の通りで、これらの事柄は、誠に〝妙〟と申す他ありません。

 ここで、三千大千世界と三千塵点劫について、簡単に説明しておきましょう。三千大千世界とは、古代インドの世界観による全宇宙の意であります。須弥山を中心とする一つの小世界、これは現代の科学的なことばに置き換えるとしますと、ほぼ太陽系に相当するのですが、その小世界を千集めたものを小千世界と呼びます。そして、それを千集めたものを一つの中千世界とし、中千世界を千合わせたものが大千世界であります。すなわち、小・中・大の三種の世界から成る、ある限りの全ての世界とでも申せましょう。略して、三千世界とも呼びます。

 次に、三千塵点劫でありますが、先の三千大千世界が、広さとか大きさとかを説明するものと致しますと、こちらは、時間の長さを説明するものと言えるでしょう。三千大千世界のあらゆるものを磨して墨とし、この墨汁を一千国土過ぎる毎に一点ずつ、ちょうど雨だれのように下して進み、墨汁が尽きた時、それまでに経過した全ての国土を微塵に砕いて、その一塵を一劫として数えます。ですからその数たるや、最新鋭のスーパーコンピュータをもってして、例え何百万年かけたとしても数え尽すことのできないもので、この極めて長い時間を、三千塵点劫と呼ぶ訳であります。

 このように、法華経はとてつもなくスケールの大きい教えで、まさに〝宇宙時代の宗教〟と言えるのであります。

 

化城宝所の喩え

 「法華七喩」の第四番目が、「化城宝所の喩え」であります。或る日のこと、聡明で能く道を熟知している一人の導師があって、多くの人々を伴って、遠い遠い五百由旬の彼方にある宝所に出かけました。しかし、その道は遠く険悪なために、初めは元気よく歩いたものの、だんだん疲れてきて、もうこれで引き返すことにしようと言い出す者がありました。

 折角途中まで来ながら、宝所に至らずに引き返すのは残念でなりません。そこで導師は、大神通力を以って、三百由旬の所に忽ち大きな幻の城を現し、「この城に入って一休みし、疲れを癒そう。」と言いました。人々は大喜びで城内に入って休息し、最早目的の宝所に達したかのように思い、一歩も前進しようとしません。そこで導師は、声を大にして人々に告げました。「この城は、皆があまり苦しがるので、神通力により現した化城であり、目的の宝所ではない。目的の宝所は五百由旬の所にあるのだから、もう一奮発歩こう。」そう言って、化城を消してしまったのです。中には、「もうこれ以上、歩くことはできないから帰りたい。」という者もありました。導師は、「帰りたい者は帰りなさい。しかし、帰るには三百由旬の悪道がある。目的の宝所は、あと二百由旬の所にあるのだから、帰るよりは近いし、道も良いので楽である。」と言い聞かせ、これを聞いて元気を出した人々とともに、遂に目的の宝所に至り、思う存分宝を手に入れることができた、という物語であります。

 この話の内容から羅什三蔵は、当品を「化城喩品」と漢訳しました。五百由旬の宝所というのは、仏の国、すなわち法華一乗・真理の都を指しています。

 この仏国に至るまでには、菩薩の国を通らねばならず、菩薩の国に至るには二乗の国を通らねばなりません。そして、二乗の国に至るには、三界迷妄の世界を出なければなりません。その三界を出たところに化城を現したということは、法華一乗・真理の都の宝所に至るまでに、三乗方便の教えを立てたということで、一仏乗の法華経こそ仏の本意、本来の目的である宝所なのであります。

 因みに、由旬(ゆじゅん)とはインドの距離の単位で、一由旬は六町一里と言われていますが、四十里・三十里等異説があります。『栄華物語』の作者に擬せられる赤染衛門は、

  こしらへて 仮の宿りに休めずば まことの道を いかで知らまし

 と、「化城喩品」の意を詠んでいます。

 

三益と法華経の利益

 法華経には、迹門の三益(さんやく)と本門の三益が説かれていますが、「化城喩品」は迹門の三益です。この「三益」について、要点をかいつまんで、平易にご説明しましょう。

 一度でもお寺参りをして、お上人から法華経を聴聞すれば、心田に仏種が下種されたことになります。これを「下種益(げしゅやく)」と言います。更にお寺参りを重ね、善根功徳を積み累ねると、ちょうど果物や野菜が熟するようにご利益が頂けます。これを「調熟益(じょうじゅくやく)」と申します。そして益々信心に励むことによって臨終の時、正念に仏果を成就できることを「解脱益(げだつやく)」と申します。これを「種・熟・脱の三益」と言って、重要な法門であります。草木に限らず、どんなものでも種が無ければ果は生じません。法華経以外の方便の諸経には、この「仏種」が説かれていないので成仏できない、と日蓮聖人は『開目鈔』・『本尊鈔』でご指南されています。

 「化城喩品」には、「願くばこの功徳を以て、普く一切に及し、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん。」という有名な一文があり、法華経の広大無辺のご利益を表していますので、他宗の人もこの一文を回向に読んでいます。

 日蓮聖人は『唱法華題目鈔』〔(定)一八五 (縮)三二三 (類)二四三〕に、
「昔三千塵点劫の当初(そのかみ)、大通智勝仏と申す仏います。其仏の凡夫にていましける時、十六人の王子をはします。彼父の王仏にならせ給ひて、一代聖教を説き給ひき。十六人の王子も亦出家して、其仏の御弟子とならせ給けり。大通智勝仏、法華経を説き畢らせ給て、定(ぢょう)に入らせ給しかば、十六人の王子の沙弥(しゃみ)、其前にしてかはるがはる法華経を講じ給ひけり。其所説を聴聞せし人、幾千万といふ事をしらず、当座に悟をえし人は不退の位に入にき。」 
と説かれています。

 九十六代後醍醐天皇の第八皇子である宗良親王は、
かりそめに 草の庵をむすばずば はるけき野辺に いかで行かまし
と、「化城喩品」のこころを詠まれています。

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