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法華宗真門流からのお知らせ
2010.7.14
トップページに「「伊豆御法難」のとらえ方」を掲載しました。
法華経とはに「菩薩行の実践と法華経」を掲載しました。
2010.6.21
ミニ法話に「古き良き時代」を掲載しました。
法華経とはに「一念三千の仏種」を掲載しました。
2010.5.6
ミニ法話に「無財の七施」を掲載しました。
法華経とはに「十如是について」を掲載しました。
 

「伊豆御法難」のとらえ方  

    布教師 木田 慧明

今から757年前(1253)建長5年4月28日、上行菩薩・日蓮大聖人は、久遠実成の御本仏(寿量品の仏)から全てを託され(神力・別付嘱)「三大秘法の南無妙法蓮華経」を「末法の法華経」として『不軽品』の不軽菩薩のごとく唱え弘められました。(立教開宗)

そして「三大秘法の南無妙法蓮華経」の法門弘通の決意を後の『開目抄』で以下のようにお述べになっています。「日本国にこれをしれる者。ただ日蓮一人なり、これを一言も申し出すならば父母・師匠に国主の王難必ず来るべし。いわずば慈悲なきににたりと思惟するに、法華経、涅槃経等にこの二辺を合せ見るに、いわずわ今生は事なくとも、後生は必ず無間地獄に堕べし。いうならば三障四魔必ず競い起るべしと知ぬ。二辺の中にはいうべし。・・・」と、

この「三大秘法の南無妙法蓮華経」の法門とは『立正安国論』の正法のことです。五百億塵点劫のはるか昔に成仏した(久遠実成)三身常住の本仏が、末法の本心を失ったどうしようもない衆生を救う為に、色々な薬剤をツキ・フルイ・和合して色・香・美味なる大良薬を作られました。そして御本仏の一番弟子上行菩薩にその大良薬・特効薬を持たせて、末法の衆生に飲ませ、すべてを救うという法門です。『神力品』の四句の要法がもとになっています。(三大秘法抄)

それから七年後の文応元年7月16日(聖寿39歳)日蓮大聖人は『立正安国論』を著され、さまざまな災難や苦しみの原因は、謗法にあると、『法華経・金光明経・大集経・仁王経・薬師経・涅槃経』の経文をあげて特定し、「災難や苦しみのない安穏な世の中・家庭・心を保つには、謗法を根絶しなければならない。」(謗人・謗家・謗国の三約離謗「秋元御書」)と述べられました。そして悪口・罵詈・刀杖投石の難はもちろん、死罪・流罪覚悟で当時の権力者(国王)を諌曉(諌め正す)されました。

その結果、松葉ヶ谷の御草庵が数千人の暴徒に焼き打ちにされ、伊豆に流され、小松原で数百人の兵士に襲われ、手は折られ額を切られ、龍の口で首を切られそうになり、ついに二度目の流罪で佐渡へ流されました。

つまり、日蓮大聖人御自身は「伊豆法難」のことは、もう初めから予想されていたということです。そしてさらに『開目抄』で「すでに二十余年が間この法門を申すに、日々月々に難かさなる。小々の難はかずしらず。大事の難四度なり。二度はしばらくをく。王難すでに二度にをよぶ。」とあり「伊豆流罪」は国王の命で実行された王難であるとおっしゃっています。

そしてこの王難を伊豆と佐渡と二度受けることは『勧持品』の「数々擯出せられん」と符合しているとおっしゃって、末法の法華経の行者の証として、とらえられました。

ですから「伊豆御法難」のとらえ方として「あまりにひどい他宗批判をして、国主の悪口を言ったから伊豆に流されました。でも奇跡的に助かりました。」というような、とらえ方では不信謗法、無間地獄まちがいなしです。

 

法華宗真門流総本山本隆寺は京都西陣にあります


 総本山本隆寺は京都の閑静な住宅街の中にあります。この場所は応仁の乱当時、西軍が陣を置いていた事から西陣と呼ばれるようになり織物の街へと変遷してきました。

 時代は移り変わり現在の西陣は、昔ほどにぎやかに織機の音はせず大きな通りには、お洒落なお店が立ち並び華やかになってきましたが、本隆寺のある紋屋町に足を踏み入れるとそこには、まだまだ古き良き西陣らしい雰囲気が残っています。

夜泣き止め松
夜泣き止め松
 そんな中にあるこの本隆寺は室町時代に開かれた法華宗真門流の総本山で、『不焼寺』(やけずのてら)とも呼ばれ、子供の夜泣きを止めると言われる「夜泣き止めの松」等が有名です。
 
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