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『夢の浄土、現(うつつ)の浄土』

記事:布教師 藤井 聡達

浄土とは仏様の国のことで、普通は死後に往(い)きたいと願う処(ところ)です。人間には誰でも多かれ少なかれ死後の不安があります。浄土はこの不安を和(やわ)らげてくれるものです。

浄土に対する態度には三通りあります。まず一つ目は浄土など考えない信仰です。修行によって死後の不安をも克服する立場の禅宗では浄土を用いません。ただ私ども法華宗は末法思想に依拠(いきょ)し、仏道を、修行による悟りを得るものとしてではなく、信心により救いを得るものととらえています。その点から、浄土不要の修行(聖道門[しょうどうもん])による仏道は、一般大衆には無理なこととして支持することは出来ません。

二つ目はもっぱら浄土を願う(浄土門)信仰で、この代表は浄土宗、浄土真宗です。もちろん目的地は極楽浄土です。徳川家康の本陣には必ず「厭離穢土(おんりえど)・欣求浄土(ごんぐじょうど)」の大幟(おおのぼり)が立っていましたが、出世間の命題を家康が掲げていたことにミスマッチの感をぬぐえません。それはともかく、死後に極楽浄土で救ってもらえるとの安心(あんじん)を得ることにより、辛い現世を何とか生きぬくというのが、浄土信仰の教えだったはずですが、戦国時代という大変に辛い世相の中で、浄土信仰も極端に厭世的(えんせいてき)な思想に変質してしまいました。

末法時代の一般大衆には浄土は必要です。しかし「南無阿弥陀仏」の念仏による浄土は、方便の教えに基づく夢の浄土にすぎません。この世の釈迦牟尼仏を差し置いて、あるかどうかも定かでない極楽の佛さんを拝んでも、後世(ごせ)も現世(げんせ)も保証されないのです。

最後三つ目は、現世と後世を一貫して浄土ととらえる信仰で、我が法華宗や日蓮宗の立場です。永遠の釈迦牟尼仏がいらっしゃる霊山浄土(りょうぜんじょうど)は、生死を超えた現(うつつ)(真実)の浄土です。法華経薬草喩品(やくそうゆほん)第五には「このもろもろの衆生、法を聞きおわって、現世安穏(げんぜあんのん)にして後に善処に生ず。道(どう)を以って楽を受け、また法を聞くことを得(う)。」とあります。現世において法華経を聞いた者は、死後には浄土(善処)に生まれ、また法華経を聞くのです。

日蓮聖人の『一生成仏抄(いっしょうじょうぶつしょう)』にはこうあります。「衆生のこころけがるれば土(ど)もけがれ、心清ければ土も清しとして、浄土といい穢土(えど)というも土に二つの隔てなし。ただ我等が心の善悪によると見えたり。衆生というも仏というもまたかくの如し。迷う時は衆生と名づけ、悟る時をば仏と名づけたり。」

私たちが暮らすこの娑婆世界が、浄土になるも穢土になるも、自分自身の心のあり方次第です。「南無妙法蓮華経」とお題目をお唱えすることで、今生きている現在を浄土ととらえることが出来れば、同時に死後の安心をも手に入れることが出来るのです。

再拝

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