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連載《法華経は佛教の生命「仏種」である。》
―IT時代の宗教―第5話

掲載日 : 2005/9/28

 羅什三蔵(らじゅうさんぞう)「舌根不焼(ぜっこんふしょう)」の検証

羅什三蔵が訳した「妙法蓮華経」は、言葉が大変美しくて読みやすく、一番正確なので、法華経といえば「妙法蓮華経」を指すことは周知の通りであります。
三蔵とは仏教の聖典を三つに類別した、経蔵(きょうぞう)・律蔵(りつぞう)・論蔵(ろんぞう)の総称ですが、この経・律・論の三蔵に深く通じた高僧を、三蔵法師と呼んでおります。言い換えれば、仏教に精通(せいつう)した人という意味ですが、この羅什三蔵には、「舌根不焼」という不思議で有り難い話しが伝えられています。

常日頃羅什は、自分の訳した「妙法蓮華経」には、一字一句の誤訳も無いと信じているが、何かこのことを証明する方法はないものかと考え、御仏にお祈りしておりました。
「私は国王である皇帝陛下の外護(げご)によって、尊い「妙法蓮華経」を訳しましたが、一字一句も誤りは無いと信じています。その証拠として、私が死んで火葬した時、不浄(ふじょう)の体は灰になっても、この舌だけは残してください。」と。
そして、人々に火葬の時に見てくれるよう話していたのです。羅什が亡くなった時、この話を伝え聞いていた多くの人々が、是非とも羅什三蔵の舌を見たいものと、大勢つめかけました。体は全部焼けて灰になりましたが、舌根だけは焼けずに、蓮華の上に乗って光りを放っていたということです。

この霊験譚(れいげんたん)について、日蓮聖人は「撰時抄(せんじしょう)」に、「羅什三蔵の云く。我漢土の一切経を見るに、皆梵語(ぼんご)ごとくならず。いかでか此事を顕すべき。但し一つの大願あり。身を不浄になして妻を帯すべき。舌計り清浄(しょうじょう)になして仏法に妄語(もうご)せじ。我死せば必ずやくべし。焼かん時舌焼るならば我が経をすてよと、常に高座にしてとかせ給いしなり。上一人(かみいちじん)より下万民(しもばんみん)にいたるまで願して云く、願わくば羅什三蔵より後に死せんと。終に死し給う後、焼たてまつりしかば不浄の身は皆灰となりぬ。御舌計り火中に青蓮華(しょうれんげ)生て其上にあり。五色の光明を放ちて夜は昼のごとく、昼は日輪の御光をうばい給ひき。さてこそ一切の訳人(やくにん)の経々は軽くなりて羅什三蔵の訳し給える経々。殊に法華経は漢土にやすやすとひろまり給ひしか。」と記述されています。
この超科学的摩訶不思議なる現象こそ、羅什三蔵の法華経飜訳に対する確信を示すもので、有り難く拝される次第であります。

このような伝説が残されるほど、羅什訳の「妙法蓮華経」は名訳なのです。
日蓮聖人は何度もこの史話を取り上げて、このように不思議な霊験が現れたのは、羅什三蔵の訳した「妙法蓮華経」は一字一句の誤りも無く、仏のみこころを正しく訳した証拠であると太鼓判を押されています。法華経を拝読すると、釈尊のみこころとともに、羅什三蔵の固い信念が伝わってくるようです。

不空三蔵「舌根焼失(ぜっこんしょうしつ)」す

インドから漢土(かんど)に経論を伝訳した人は、旧訳・新訳合わせて百八十七人ですが、羅什三蔵以外は何れの訳人も誤りがあり、殊に真言僧不空(ふくう)は誤訳が目立つのみならず、大誑惑者(きょうわくもの)で「法華観智儀軌(ほっけかんちぎき)(一巻)」という法華経の解説を書いて、その中で寿量品の仏を阿弥陀仏と書き誤っています。にもかかわらず、「自分の飜訳は正しいから妙法蓮華経を飜訳して舌根が焼けなかった羅什三蔵のごとく自分の舌も焼けずに残るであろう」と人々に語っていましたが、火葬をしたら舌も灰になってしまうという、お粗末な結果になりました。
これに関して日蓮聖人は「太田殿女房御返事」に、「羅什は舌やけず。不空は舌やけぬ。妄語はやけ、実語はやけぬ事顕然(けんねん)也。」と申されております。

 

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