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「法華経の力」

記事:布教師 柳楽 諦謙

こんな修行僧のお話しがあります。

ひとりの修行僧がいました。その僧は、法華経の一の巻から七の巻までは、よく覚え、正確にお経を読むことが出来ました。

しかし、法華経の八の巻だけは、いくら覚えようとしても覚えることが出来ませんでした。
くる日も、くる日も、覚えようと唱えましたが、いっこうに覚えることが出来ません。

修行僧は、考えました。自分の頭が悪いのなら法華経の一の巻から七の巻まで覚えることは出来ないはず、もし、頭が良いのであったら、法華経の八の巻も覚えて読めるようになるはずである。それなのに、どうしても八の巻だけ覚えられないのは、何か訳があるに違いない、と。

そこで、その訳を、仏様や諸天善神に祈って教えて頂きたいと思い、修行僧は、一心に法華経を読み、日々祈願したのでした。

ある日のこと、修行僧の夢の中に菩薩様が現れ、こう告げられました。

そなたの因縁を説いてあげよう。
むかし、一人の商人が、牛を引き連れて行商をしておった。日も暮れるころ、あるお寺に宿を借りることになったのじゃ。
牛は、本堂のそばの木につながれ、商人は、庫裏の方で休むことになった。
宵の明星が輝く頃、本堂から法華経のお経が聞こえてくるようになり、一晩中聞こえていたのじゃ。

しかし、法華経の、一の巻から七の巻まで読んだところで、夜が明けてしまった。
牛は、一晩中、法華経を聞いていて慈善の念を起こしたが、八の巻は聞くことなく、朝早く商人に引かれて、また行商に行ってしまったのじゃ。

その牛が、そなたの前世の身である。法華経を聞いた功徳によって、畜生の身を離れて人間として生まれ、今、修行僧として仏法を学ぶ身となって、その時に聞いた法華経の七の巻まで読めるようになったのじゃ。
しかし、その時に、法華経の最後の八の巻を聞かなかったために、今、この世においてなかなか八の巻を憶える事が出来ないのじゃ。

修行僧は、夢から覚めて自分の因縁を知り、改めて自分の境遇を知りえたのでした。

というお話です。

皆さんは、このお話しを読まれてどう思われましたか。
法華経は、お釈迦様が、沢山説かれたお経の中で一番説きたかったものです。
それは、すべての人を救うために説かれたものです。

先ほどのお話しの中にあったように、
牛でも、法華経というお経を聞けば、畜生という世界から人間として生まれ変わり、法華経を持(たも)つ事の出来る僧侶にまで生まれ変われる事が出来る力を持っているのです。 法華経は、何も意味が解らなくても、法華経に接すれば接するほど、法華経の計り知れない徳を頂くことが出来るのです。

皆さんもこれを機会に、法華経を一の巻から八の巻まで、読んでみてはいかがでしょうか。
そして、法華経の徳をご家族や周囲の方にも分けてあげていって下さい。

南無妙法蓮華経

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