ミニ法話

「合掌の心」

記事:布教師 本田 英観

 皆様こんにちは、我が宗内では「合掌し合う友をつくろう、高祖、開祖のお心にかえろう」を旗印に「合掌運動」をすすめております。

 皆さんは、お盆やお彼岸には、御先祖様への感謝と御供養のため、お墓参りや、お仏壇に手を合わせられると思います。それも大切なことであることは言うまでもありませんが、合掌運動とはただ仏様を拝むだけではなく一人一人が、お互いに備わっている仏性を拝み合い、合掌し合おうと言うのです。

 法華経は第三番目の譬喩品に「今此の三界は皆是れ我が有なり、其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり」と説かれている如く、私達は本来本仏釈尊の血脈を伝えている仏の御子であって、本有として心中に仏性を具し、内心にすでに仏徳を備えているのです。 これは、法華経を信じると信じないとにかかわらず、私達人間にはすべてに備わっているわけです。しかしながら、日蓮聖人は 『当体蓮華鈔』に「此の如く仏性の蓮(はちす)を我も人も持ち奉りながら、無明の酒に酔いて身の内の仏性の蓮を知らず、煩悩の闇に迷いて我性の真如を覚らず、貧女が家中の秘蔵を忘れ、龍の身の内の玉を宝と覚らざるが如し。…仏性の蓮は衆生の身内(たいない)に納れり。是れ則ち妙法蓮華経の当体なり。」と述べられております。

 すなわち、私達、衆生の心の中に本来備わっている仏性も、これを身外に仏道として、身・口・意の三業に顕わさなければ、貧女が自分の家の宝蔵を知らず、龍が自己の身内に具せる宝珠を覚らざるのと同じなのであります。

 又、私達の宗門の御開山は、常不軽院日真大和尚であります。この不軽と申しますのは、法華経は第二十番目「常不軽菩薩品」の常不軽を名づけられたのでございます。この「常不軽菩薩品」とはどの様なお経かと申しますと、「私はあなたを拝みます。あなたは仏になる仏性を持っています。仏の仏性を持ちながら自分の事ばかり考えて、他人を尊敬することを知りません、他人の仏性をも合掌礼拝しましょう」と、どのような人にも合掌礼拝し、いつでも人を軽んじないというお経文で、御開山がこのお名前を名づけられたように、我々の仏道修行の根本は、仏性礼拝行なのであります。

 合掌は、尊敬と感謝と祈念の心が現れた姿で、インドやタイでは、挨拶の方法が合掌です。にっこりと笑顔で手を合わせて、挨拶されれば気持ちのいいものです。また、右の手を浄い手、「仏の手」。左の手を不浄の手、「凡夫の手」といって、合掌は仏様と私達凡夫が一緒になる姿を現しているのであります。

 この姿こそが一番大切なことだと思います。

 まず、私達が手本となって日々の挨拶からお互いに素直な心で、尊敬し合い、感謝の気持ちで一人でも多くの人の仏性を拝み「合掌し合う友をつくろう」と、合掌運動、仏道修行、御題目を広めていこうではありませんか。

南無妙法蓮華経 合掌

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