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「秋の彼岸会にあたって」

記事:布教師 菅原 孔道

 秋のお彼岸の季節になりました。一年中で最も快適な季節に営まれるお彼岸は、インドにも中国にも見られない、わが国で国民行事までに発展した、独自の行事といわれています。それだけに、お彼岸にはいろいろな意味がこめられているのです。お彼岸にあたって、お彼岸の持つ意味を深くかみしめて、信仰生活の在り方を考えてみたいものです。

 "お彼岸"は、正式には"彼岸会"という仏教行事のことです。"彼岸"とは、インドの古いことばであるパーラミター(波羅蜜多)を訳したもので、"むこう岸に渡る"(=到彼岸)という意味です。むこう岸は仏の世界であり、真実の世界をあらわしています。この岸は、現在私たちが生きている世界です。この岸とむこう岸との間には、河があります。河には滔々と水が流れていて、水は、煩悩(迷い)という大きな力で、渡ろうとする人々を押し流してしまいます。私たちが、明るく(仏)、正しく(法)、和やかな(僧)、真実の世界(彼岸)を望んでいながら、つい煩悩という強い流水に押し流されて、この迷いの世界(此岸)から一歩も抜け出すことができずにいるのが現実です。

 仏の教えは、この迷いの世界から抜け出して、真実の世界に渡るためには、考えていただけでは駄目で、行動を起こすことを教えています。では、具体的に、彼岸に渡るのには、どうしたらよいのでしょうか。たとえば水泳に自信のある人は、流水に押し流されないように、身体をきたえて(修行)、力強く泳ぎきる(自力)ことです。泳ぐ自信のない人は、舟に乗ればいいのです(他力)。舟も自分で漕ぐ人と(半他力)、エンジンの付いた舟(絶対他力)もあるのです。この選択は、人に任されているのです。(信仰)。

 つまり、お彼岸やお盆に亡きお方におまいりする、このことをご縁として、"自分とは何か"と、わが身、わが心に光をあててこそ、仏の教えを信ずる者の喜びと誇りがあるのです。

 法華経序品第一に「無量百千の諸仏を供養し諸仏のもとにおいて、もろもろの得本を植え、諸仏をたたえ、大慈をもって身を修め、よく仏慧に入り大智に通達して、彼岸に入るなり」と説かれてあります。

 三世諸仏をはじめ、ご先祖方に香、花などを供え、そのご照覧のおんもとでもろもろの徳を積んでいき、また静かなこの秋のお彼岸にあたり、私たちは「自分に勝つ心」を養って古人の徳に報いたく存じます。合掌


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