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「末法は『お題目』に限る」

記事:布教師 広瀬 行宣

 お釈迦様のお説法は、今日経文として残っています。その数は、八万四千ともいわれ、皆さんが良く耳にされる「大日経」「阿弥陀経」「般若心経」「法華経」等が代表的な教えとして残っています。

 しかし、これらの経文は、それぞれ使命を持っていて、説かれる「時」があり、説くべき「人」がいるのです。

 私達はお釈迦様滅後、約三千年が過ぎ「末法」という「時」に今暮らしています。「末法」には、お釈迦様の教えに耳を傾け真剣に聞き入れようとする人は皆無だと、お釈迦様は申されています。

 「私は信心深い」と信じている人であっても、ただ生まれた家の宗派を信仰しているだけで、沢山の教えの中で、どの教えが本当に優れているのか。我が家の宗派は本当に正しいのかと考えた人は皆無に等しい。これを進学に置き換えれば進むべき学校を選ばない人はいないでしょう。しかし、殊信仰に関しては「無信心」そのものです。

 そこでお釈迦様は末法の私達のために「法華経」を残して下さいました。法華経分別功徳品に「悪世末法の時この経を・・・」と出てきます。末法には「法華経」の教えに限られているのです。

 しかし、先にも申しましたが、教えに耳を貸す者は皆無の末法に於いては、「法華経」でも役に立たないのです。では、お釈迦様はどのようにしてそれを解決されたのでしょうか。

 そこで特別な「人」をお釈迦様の使者として末法に送り込まれたのであり、それが「日蓮聖人」その方であります。

 日蓮聖人は、上行菩薩の再誕とご自身の事を申されましたが、「法華経」の中に説かれる如く、お釈迦様は末法に使者を遣わして「再び衆生の本心を取り戻す薬(お題目)」を持たせるので、衆生は信じてこれを服すように指南されています。そして、この末法の行者はこの「お題目」を広める時、必ず法難に合うと説かれています。日蓮聖人のご生涯は法難そのものでありました。その覚悟を持った「人」こそが、お釈迦様の本当の仏弟子なのであります。

 「経文に我が身普(符)合せり」(開目抄)

 日蓮聖人は、私見を一切交えずに経文に示された通りにご生涯を送られ、他宗の開祖に対しては、必ず経文に依ってその誤りを指摘されたことは、周知の事実であります。

 多くの方が毎日苦悩されています。皆さんの周りを見渡してみて下さい。混迷極める世相、災害、人災に対し無防備に暮らしている私達は今後、起こらんとする様々な苦難に遭遇する前に「学び・予防」する事が必要です。先ずは学んでみては如何でしょうか、本心を取り戻す「お題目」とは何かを・・・


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