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「いま生きている人や生き物に、平等にあたえられているもの」

記事:布教師 柳楽 諦謙

 ある時、先輩に

 「いま生きている人や生き物に、平等にあたえられているものは何があると思う?」

 という問題を出された。

 私は、しばらく考えて、「空気ですか?」と答えた。

 すると、先輩は

 「空気は、確かにこの地球上の生き物に与えられているけれど平等ではないよね。高いところの山に住んでいれば空気は平地より薄いし、海の中に住んでいれば、海中に含まれている空気の濃度は、これも場所によって違うよね。」

 と言われた。確かにその通りだ。

 私は、また考えた。しかし、なかなか思いつかない。

 すると先輩が、「平等に与えられているものは、時間、時ですよ。」と、答えを教えてくれた。

 よくよく考えてみると、確かに時間というものは、一分一秒とも狂うこと無く、すべての生きとし生けるものから、そこらへんに転がっている石や物までも、平等に与えられている。 

 時間というものは、その人によって感じ方が違う。一時間を早く感じる人もいれば遅く感じる人もいる。お年寄りが歳を取るにつれて一年が経つのが早いと言われる。

 確かに、小学生の頃は、お正月がくるのが、まだかまだかと待ちどおしかったが、大人になってからは、あっという間に一年が経ち、お正月がすぐ来る感じだ。大人と子供では、時間の感じ方が違うからだ。

 また、楽しいことをしている時と、嫌なことをしている時の時間の感じ方も、長く感じたり短く感じたりもする。

 たとえば、楽しい旅行をしているとあっという間に日にちが過ぎ、嫌な勉強や、仕事をしているときは、なかなか時間が経たない思いをしたことがあるだろう。時間を受け取る人の感じ方でこんなにも時間の長さは違ってくるのである。

 けれども、時間は、平等にみんなに与えられている。時間は、きちんと狂わず同じようにみんなに時を刻んでいるのである。

 人間の一日と、石ころの一日に違いはない。ただ、その中で、時間の流れの中で、それぞれの寿命というものがある。物にしても、寿命とは言わないが、石なら風化とでもいうのだろう。物なら壊れるまでが、寿命と言えるのではないだろうか。

 長い寿命もあれば短い寿命もあるけれど、生きているものにしてみれば、同じ一生という言葉になる。人間の寿命は、だいたい平均80歳位で、蛍が成虫になってからの寿命は、 1 週間位の長さだと言われている。もし、人の寿命が蛍のように 1 週間だったら、人は、どのように 1 週間を生きるのだろうか考えてもらいたい。さぞかし忙しく、充実した 1 週間が過ごせるかもしれない。または、何をしようか考えているだけで、 1 週間が終わってしまう人もいるかもしれない。そう考えてみると、今の自分は、どれだけ時を無駄に使っているのだろうと考えさせられる。

 人によっても、寿命は違う。長く生きられる人もいれば、早くに亡くなる人もいる。明日があると思っていても、交通事故や不慮の事故で亡くなってしまうこともある。自分が、どれだけ気を付けていても、どこでどう、事故に巻き込まれて亡くなってしまうかもしれないということを、忘れてはならない。だからこそ、自分に与えられた時間を大切に生きてもらいたい。

 日蓮聖人の御妙判『妙法尼御前御返事』の中に

 「夫れおもんみれば日蓮幼少の時より仏法を学び候ひしが、念願すらく人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露尚譬にあらず。賢きも、はかなきも、老いたるも、若きも定め無き習ひなり。されば先臨終の事を習ふて後に他事を習ふべしと…」の一文がある。

 人の命は、無常であるから、賢い人も、そうでない人も、老人も若い人も、すべていつ死を迎えるか定めのないことである。そこでまず臨終のことをよくわきまえて、その後で他の事を考えるべきであるという意味である。

 今一度、現世で与えられた時間、生かされている時間の有難さに感謝し、大切にその時間をすごしていただきたい。

 そして、今の自分の心を見つめなおし、お釈迦様が、一番説きたかったお経『法華経』に、人として生まれてきた意味や摂理を考え、日々の法華経の御修行に励んでいただきたい。

南無妙法蓮華経


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