誰しも「年はとりたくない」「いつまでも若くいたい」「少なくとも今のままでいたい」と思うもの。でも一年経つと、差別も区別もなく誰しもが必ず一歳年をとります。
普段は忙しい日々に追われ、時の過ぎ去るのも忘れ、せっせと生活しています。でも「行く年・来る年」、ゴーンと除夜の鐘を聞くと、誰しもが一歳年をとったと実感します。すべてのもが平等に一歳年をとります。これを「数え年」といいます。
正月や 冥土の旅の 一里塚 目出度くもあり 目出度くも無し
満年齢に慣れた私達にとって、一歳余計に数える「数え年」はちょっと切ない気持ちになります。お葬式の時、お位牌を見たご遺族から「おじいちゃんの年が一歳違います」と言われることがあります。自分の力で生きていると思う人は、満年齢がシックリするのかもしれません。
でも人は、仏様からいのちを頂いて、定められたいのちを生かされ、仏様のもとに還るのです。人は、「来るを知らず、留まるを知らず、逝くを知らず」、いのちは自分でコントロールすることができません。いのちは仏様のものなのですから。
仏様から一年の「歳」を頂けるから一年活かされる。次の年、もう一年の「歳」を頂けるからもう一年活かされる。人生はこの繰り返しなのです。この世にオギャーと生まれたときに、仏様から一年の「歳」を頂いたのです。だから仏様から見ると、生まれたときが一歳なのです。
いのちは仏様のものであり、そのいのちを頂き、人は活かされるのです。自分の力で生きているのではないことに気づくと、人生は「数え年」になります。
一年の「いのち」を頂ける年の初めの正月に、一ヶ月の「いのち」を頂ける月の初めの朔日に、一日の「いのち」を頂ける目覚めの朝に、心から、感謝のお題目を唱えることが大事であります。このお題目こそが、元気で長生きする秘訣です。そして、死ぬときに「自分の人生は良かったなぁ~」と感じて死ねるのが、本当の意味の「臨終正念」です。
仏様から頂いた「数え年」に感謝!
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