ミニ法話
法華宗真門流ホーム > ちょっと豆知識 > ミニ法話 > 「教えに生きる」

「教えに生きる」

記事:布教師 山口英泰

 仏教と他の宗教との大きな違いは、因果と三世を説くところです。因果とは原因と結果のことで、物事には必ず因果があるというのです。つまり、偶然ということは決してなく、全ては必然で起こるのです。

 また、仏教では、全ての生きとし生けるものは生まれ変わると説きます。今の自分も生まれ変わった過去があり、亡くなった後生まれ変わる未来があるといいます。過去世(前世)・現在世(現世)・未来世(来世)の三つで、これを三世と言います。

 生きるということは、毎日、業(ごう)を積んでいます。業とは、身業(しんごう)身でおこす業、口業(くごう)口でおこす業、意業(いごう)心でおこす業の三つで三業(さんごう)と言います。身業は行動、口業は言葉、意業は心の働きです。私達は毎日、何かを思い、何かを話し、何か行動しています。それが、生きるという事で、善き心で、善き言葉で、善き行いを成すと、善業(ぜんごう)と言い、悪しき心で、悪しき言葉で、悪しき行いを成すと悪業(あくごう)と言います。

 この因果と三世と業が関連して私達の人生を形成しているのです。生まれた環境(親・地域・社会・性別)も業によるもので、生きていく中での出会い(友人・婚姻・隣人・病気・事故・事件・災害等)も同じです。全てのものに因果があるという事は、生まれるべくしてその環境に生まれ、会うべくして人々と出会い、なるべくして病気になり、災難に会う場合もあります。それは、好むと好まざるによりません。

 世の中で、同じ業を持った者同士が親子になり、夫婦となります。その同じ業のことを共業(ぐうごう)と言います。子供は生まれる前に共業の親を探し、見つかるとその親の元へ生まれます。これは過去世の業に応じたところに生まれるのです。これが、出生に関わる因果です。婚姻も同じで、この世で一番似た業を持った者同士が結婚するのです。人生の中で起こる様々な事も共業によるものです。

 自ら積んだ業を自業といい、それは必ず自らに返ります。これを自業自得と言います。原因と結果は必ずイコールで、因果に応じた報いとなり、これを因果応報と言うのです。現世の行いは過去世の原因によるもので、また、未来世への原因となるのです。

 日蓮聖人は『開目抄』に
  心地観経(しんじかんぎょう)に云く 「過去の因を知らんと欲せば、その現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、その現在の因を見よ」
と仰せです。

 仏教は今をどう生きるかを説かれた教えです。現世において仏教に出会い、お題目を唱え、教えに準じた生き方をすることこそ、私達の本当の生き方です。

南無妙法蓮華経

ミニ法話トップへ戻る

このページのトップへ ▲