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「目標を見据えて生きること」

記事:布教師 久本慈光

 私事で恐縮ですが、私は法華宗真門流の寺院の住職を務めさせていただくと共に、地元のミュージカル劇団の一員として活動し、また、学習塾の経営もさせていただいております。それらの活動を通して、日々、多くの小・中・高校生やその親御さんと接する機会があります。

 その中で最近強く感じるのは、世の風潮なのか、お父さん・お母さんがたのものの考え方が、どんどん「短絡的」「刹那的」「近視眼的」になっているということです。

 例えばミュージカルの子役の配役を決める時に、「なぜ○○ちゃんよりうちの子がソロの少ない役なんですか?」「なぜ●●ちゃんが□□役で、うちの子が端役なんですか?」と、文句を言いに来る親御さんがいらっしゃいます。

 そういう親御さんは、「いろんな役をやることがその子の経験になり、大きな役をやるときのベースになる」とか「与えられた役は全体の中でどんな意味を持っているのか、子どもに考えさせてみよう」といった広い視野をお持ちになっておらず、単に「今、この舞台でうちの子の方が他の子よりかっこいい」とか「目立っている」ということしか、気にされていないように思えてなりません。

 日蓮聖人は、『妙法尼御前御返事』という御遺文の中で、「先臨終の事を習て後に他事を習べし」とおっしゃっています。いろんな解釈があろうと思いますが、「自分の人生の終末をいかに迎えたいか、どのような姿にしたいかを見定めて、初めて自分の生き方がわかる」、と私は解釈しています。

 舞台をつくる者からいえば、「つまらない役」「どうでもよい役」など一つもありません。全ての役は、そのストーリーの感動的なエンディングを迎えるために必要な一部分です。

 同じように、「臨終の事」をしっかりと見定め、目的のはっきりした人生を歩んでいる人からすれば、刹那に起こるどんな苦労も悲しみも悔しさも、「乗り越えるべき大切な課題」となるはずです。「臨終」というと嫌なもののように思われるかもしれませんが、終幕(エンディング)の無い芝居はありません。

 とはいえ、弱い私達は、ともすれば本来進むべき道を見失ってしまいます。「南無妙法蓮華経」のお題目は、私たちに私たちの「本当の心」を思い出させ、向き合わせて下さいます。常に「南無妙法蓮華経」とお題目をお唱えし、お題目の力を頂戴しながら、目標を見失わず、一歩一歩進んで参りたいものだと考えています。

南無妙法蓮華経

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