1. 法華経とはどういうお経か
イ 仏教における位置
お釈迦さまは、真理の妙法を悟られてから、多くの人々を導くため、いろいろの教えを説かれ、その教えはお経として今日に伝えられています。そのたくさんのお経の中で、法華経とはどういう特色をもっているのでしょうか。
日蓮聖人は、仏教のすべてのお経の中で法華経が、お釈迦さまの真意をそのまま伝えており(随自意(ずいじい)の教え)、他のすべてのお経は、どんな時でもその人たちに理解できるよう、相手の気持ちにあわせて説かれた教え(随他意の教え)であるといわれています。
すなわちお釈迦さまは、初めから法華経を説くことが目的でありましたが、相手の性質や理解力がまだそこまでいっていないので、法華経の教えが理解できる境地まで、人々の気持ちを育て上げるため華厳経(けごんきょう)、阿弥陀経(あみだきょう)、大日経(だいにちきょう)、般若経(はんにゃきょう)などのたくさんのお経を説かれたのであります。そうして人々の気持ちが成長して、法華経を説いても良いという時になって、初めてお釈迦さまのご本意である法華経を説かれたのであります。
では法華経はどうしてお釈迦さまのご本意の教えなのでしょうか。法華経以外のお経では、われわれ凡夫(ぼんぶ)は罪障が深く、修行もなかなか出来ないから仏になれないとか、自己の智によって他のためにつくさないひとりよがりの人々や、父母を殺したり正法(しょうぼう)をそしる悪人や、邪念の多い人はどのように修行しても、どうてい仏になることはできないと説かれています。
しかし法華経の教えは、いかなる人々も菩薩行(ぼさつぎょう)の実践によって、ことごとく最高の聖者である仏になることができると説かれるのですから、法華経こそお釈迦さまのご本意の教えであります。
ロ 法華経の内容と教え
始めに法華経の組織をみますと、全部で二十八品あります。品(ほん)は章ということで、二十八章の項目があるということです。この二十八品の中で前の半分の十四品を迹門(しゃくもん)といい、後の半分の十四品を本門(ほんもん)といいます。
・迹門の中心は=方便品(ほうべんぽん)の教え
・本門の中心は=寿量品(じゅりょうほん)の教え
法華経を、二門六段といい迹門と本門とに分けます。迹門は法華経の始め序品から第十四章安楽行品(あんらくぎょうほん)までを迹門といいます。方便品は釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の大事の法門「二乗作仏(にじょうさぶつ)」が説かれているからです。今まで成仏が出来なかった二乗すなわち声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)が仏に成れる教えが説かれています。ですから迹門は方便品が中心です。
本門は、第十五章の涌出品(ゆじゅっぽん)から終わり第二十八章の勧発品(かんぼっぽん)までを本門といいます。第十六章の寿量品に久遠実成(くおんじつじょう)といって、仏様の生命が久遠の昔から続いている事をお明かしになられたという、一大事の法門が説かれています。一切経の中の王であります法華経、法華経の中でも寿量品。このために本門は寿量品が中心なのであります。故に、「唯寿量(ゆいじゅりょう)」といってこの寿量品を一番大切にしています。
方便品を中心にされたのが天台大師です。
寿量品を中心にされたのが日蓮聖人です。
当門流の開祖日真大和尚(にちしんだいかじょう)も寿量品中心です。
同じ、法華経の迹門と本門では内容は大変違っているのです。日蓮聖人の「法華経」はどんな教えでしょうか。
(一)、寿量品に示された釈迦牟尼仏の本当の相(すがた)(本地(ほんじ))を明らかにされて、釈迦牟尼仏は実は久遠実成の本仏で、分身仏(諸仏)として人々を救うためにいろいろの仏となって多くの人々を導いてきたのです。すべての諸仏は「本仏」の仮に現れたお姿です。諸仏の根本は本仏・釈迦牟尼仏であります。教えもたくさん(八万四千の教え)説かれていますが、法華経の寿量品に帰すると教えられているのです。
(二)、法華経以外でのお経は、現在われわれの住んでいるこの娑婆世界(しゃば)は住みにくく、苦しみや悩みの多い世界であるから、西方(さいほう)極楽浄土や他の住みやすいところへ往生することを示されていますが、法華経は本仏のいらっしゃるこの娑婆世界で、菩薩行の実践により、苦悩の多い現実の生活から逃れるのではなく、日常の生活の中によろこびの充ちた理想を実践することを教えられたのであります。
(三)、法華経の教えは、われわれは「仏子」でありますから、正しい信仰をもってお題目を唱え、実践すれば必ず本心に立ち帰り喜びの境地である仏になることができると説かれています。実践するとは、仏さまの子供であるとの自覚をもって、友人や知人にお題目の尊さ有り難さを伝え広めていくことであります。
例えば、池に石を投げると波紋がおこるように、この波紋のようにお題目を広めていくことを「広宣流布(こうせんるふ)」といいます。また、自分たちの菩提寺によく参詣することも「広宣流布」の一つのすがたであります。菩薩行の中でも「布施行(ふせぎょう)」をおこなうことは「令法久住(りょうぼうくじゅう)」といい、法華経をこの世界に永久にとどめることになるのであります。
2. 末法(まっぽう)と法華経について
お釈迦さまの滅後、衆生の信仰心の移り変わりを、正法(しょうほう)・像法(ぞうほう)・末法の三つに分けて教えをお説きになりました。
a、 正法の時代
お釈迦さまが入滅されてからの千年の間を正法時代といい、仏さまの教えが正しく伝わり、またその教えを正しく行い、悟りを得ることができる時代であります。
b、 像法の時代
正法の後の千年間で、正法の時と同じく教えと行じる人も多くありますが、お釈迦さまの感化がだんだんうすれて、また人々の欲望が強くなり、悟りを得ることが難しくなる時代であります。
c、 末法の時代
この時代は像法の後の万年を言います。仏さまの教えは伝わるが、その教えを守る人はなくなり、また行う人もほとんどなく、教えがあっても無いに等しい状態で、争いばかりが盛んになる時代であります。
このように、時代によって人々の心の状態と社会の状況が変わってしまうから、その時代の人々を救う教えでなければなりません。例えば風邪のような病なら、少しの薬で治るが、重病ともなるとなかなか治らないように、私たちの住む現在は末法の時代で、衆生(しゅじょう)は本心を失った重病人ですから、法華経の大良薬(だいろうやく)の教えでなければ救われないのです。法華経には、末法の時代にみ仏さまの使者として地涌(じゆ)の上首上行菩薩(じょうしゅじょうぎょうぼさつ)(日蓮聖人)が出現され、法華経を広めその教えによって人々を救うと説かれています。
末法の時代に、正しい信仰をするには、強い信念と堅固な意志がなければ、全うすることは難しいのです。日蓮聖人はいろいろな苦難をのりこえて、私たちにお手本を示して下さいました。私たちはその教えを信じて衆生(知人・友人等)に広めていく使命があります。日蓮聖人は「法華経を弘むれば釈迦佛の御使いぞかし」と示されています。末法の時代の法華経を信仰する者の努めであります。 |