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連載《法華経は佛教の生命「仏種」である。》
―IT時代の宗教―第2章 第23話

掲載日 : 2012/2/2

妙法蓮華経勧持品第十三 (下)

三類の強敵(ごうてき)と法華経の行者日蓮

 「三類の強敵」とは、法華経の行者に対して怨をなす三類型の悪人のことで、「勧持品」二十行の偈文四百字の中で詳述されていますように、俗衆増上慢・道門増上慢・僣聖増上慢の三つであります。

  1. 俗衆増上慢とは、俗人つまり在家の人々の内、法華経を弘める人の悪口や罵詈だけでなく、刀で切りつけたり杖で打ったりする人達のことであります。
  2. 道門増上慢とは、出家沙門として仏道に居ながら、邪智に長(た)け心が僻(ひが)み、俗衆を煽動して、法華経の行者に対し迫害を加えようとする人達です。
  3. 聖増上慢とは、道門増上慢の中でも特に名誉欲と自惚れの強い僧で、世間の人々からは生き仏のように尊敬されているのですが、法華経の行者に対しては、国の為政者を唆(そそのか)して誹謗と迫害を加えさせる悪僧のことです。

 日蓮聖人は、建長五年(一二五二)四月二十八日、清澄山でさしのぼる旭日を拝し、初めて唱題説法された時、無智の人々の悪口罵詈により所を追われ、また鎌倉松葉ヶ谷では草庵の焼き打ちに遭い、少輔房に法華経第五の巻の杖で打たれる、というような目にも遭われています。刀杖の法難について『上野殿御返事』〔(定)一六三五 (縮)一八四二 (類)六〇一〕には、

「勧持品に八十万億那由佗の菩薩の、異口同音の二十行の偈は日蓮一人よめり。誰か出でて、日本国・唐土・天竺三国にして、仏の滅後によみたる人やある。又我よみたりとなのるべき人なし。又あるべしとも覚へず。及加刀杖の刀杖の二字の中に、もし杖の字にあう人はあるべし。刀の字にあひたる人をきかず。不軽菩薩は杖木瓦石と見たれば、杖の字にあひぬ。刀の難はきかず。天台・妙楽・伝教等は刀杖不加と見えたれば、是又かけたり。日蓮は刀杖の二字ともにあひぬ。剰(あまつさ)へ刀の難は前に申すがごとく東條の松原と龍口となり。一度もあう人なきなり。日蓮は二度あひぬ。杖の難には、すでにせうばう(少輔房)に、つらをうたれしかども、第五の巻をもてうつ。うつ杖も第五の巻、うたるべしと云ふ経文も五の巻、不思議なる未来記の経文也。されば、せうばうに、日蓮数十人の中にして、うたれし時の心中には、法華経の故とはをもへども、いまだ凡夫なれば、うたてかりける間、つえ(杖)をもうばひ、ちから(力)あるならば、ふみをり(踏折)すつべきことぞかし。然れどもつえは法華経の五の巻にてまします。」

と認められ、涙なくして拝することはできません。

 更に『神国王御書』〔(定)八九二 (縮)一三六四 (類)五三〇〕には、

「小庵には、釈尊を本尊とし一切経を安置したりし、其室を刎ねこぼちて、仏像経巻を諸人にふまするのみならず、糞泥にふみ入れ、日蓮が懐中に法華経を入れまいらせて候しを、とりいだして頭をさんざんに打ちさいなむ。」

と、暴徒の狼藉ぶりが鮮烈な筆致で記されています。

 日蓮聖人のご生涯には、伊豆伊東の俎岩(まないたいわ)に置き去りにされても船守弥三郎に救出され、小松原で東條左衛門景信に刀で切りつけられた時も景信が狂死し、竜口の首の座に坐しても刀が折れて宙に飛ぶという、摩訶(まか)不思議なる現象が起きています。昔から生きて帰った人がない、と言われた佐渡ヶ島に流された時も、阿仏房と千日尼が給仕して死せず、白頭の烏が飛来して赦免となるなど、法華経第五の巻「勧持品」の予言を具現されたかのごときご生涯でありました。日蓮聖人こそ真の法華経の行者であり、末法の全人類を救う法力と大慈悲心を具えられた、私達の主・師・親であります。弘長元年(一二六一)六月、伊東から弥三郎に送られた『船守弥三郎許御書』〔(定)二二九 (縮)四一二 (類)九五三〕に、

「日蓮去(いぬ)る五月(さつき)十二日流罪の時、その津につきて候しに、いまだ名をもきゝをよびまいらせず候ところに、船よりあがり(上)くるしみ候ひきところに、ねんごろにあたらせ給候し事は、いかなる宿習なるらん。過去に法華経の行者にてわたらせ給へるが、今末法にふなもりの弥三郎と生れかわりて、日蓮をあわれみ給ふか。たとひ男はさもあるべきに、女房の身として食をあたへ洗足(せんぞく)てうづ其外さも事ねんごろなる事、日蓮はしらず不思議とも申すばかりなし。ことに三十日あまりありて、内心に法華経を信じ、日蓮を供養し給事いかなる事のよしなるや。かゝる地頭万民、日蓮をにくみねだむ事鎌倉よりもすぎたり。みるものは目をひき、きく人はあだ(怨)む。ことに五月のころなれば米もとぼし(乏)かるらんに、日蓮を内内にてはぐくみ(育)給しことは、日蓮が父母の伊豆の伊東かわな(川奈)と云ところに生れかわり給か。」

と、流罪の時の保護と供養とを感謝されていますごとく、法華経の行者日蓮聖人を、諸天は昼夜にご守護されたのであります。

法華経の行者の面目躍如

 有史以来、全人類を救うために法華経の「勧持品」を色心(身と心)に読まれた人は、日蓮聖人のみであります。この「勧持品」は、後の「不軽品」と一体をなすもので、日蓮聖人は、「不軽品」は過去のことを説いたもの、「勧持品」は現在の事実であり、現在の「勧持品」の事実を未来から見ると「不軽品」になる、と申されています。『寺泊御書』〔(定)五一五 (縮)七〇〇 (類)四五七〕に、

「過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品也。今の勧持品は未来、不軽品たるべし。其の時は、日蓮は即ち不軽菩薩なるべし。」

と申され、『開目鈔』〔(定)五五九 (縮)七七三 (類)四三〕には、

「法華経の第五の巻、勧持品の二十行の偈は、日蓮だにも此国に生れずば、ほとをど(殆)世尊は大妄語の人、八十万億那由佗の菩薩は、提婆が虚誑罪にも堕ぬべし。経に云く、有諸無智人・悪口罵詈等、加刀杖瓦石等云云。……当世、法華の三類の強敵なくば、誰か仏説を信受せん。日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけ(助)ん。」

と申されているごとく、「勧持品」の二十行の予言と、生涯の行動とが符合する人は日蓮聖人のみで、「我不愛身命・但惜無上道」の一語には、法華経の行者日蓮の面目躍如たるものがあります。


勧持品の御製と御歌

七十五代 崇徳天皇

おほ空に 分かぬひかりを天雲の しばし隔つと おもひけるかな


選子内親王

憂きことの 忍びがたきをしのびても 猶この道を 惜しみとどめん


藤原公任

さまざまに 浮世の中を忍びつつ いのちにかへて 法を説くらん

 

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