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連載《法華経は佛教の生命「仏種」である。》
―IT時代の宗教―第2章 第24話

掲載日 : 2012/3/4

妙法蓮華経安楽行品第十四

だれでも実行できる四安楽行

 「安楽行品」は、迹門流通分の第四段で、初心浅行者の法華経弘通の方軌が説かれています。「勧持品」で予言された、折伏弘通に対する三類の強敵に堪えられないような初心浅行の菩薩達にも、何とかこの娑婆世界で法華経を弘通する方法は無いものでしょうか、という文殊師利菩薩の問いに対して、釈尊は身安楽行・口安楽行・意安楽行・誓願安楽行という、易しい四つの修行の方法を説き示されたので、当品を「安楽行品」と申します。すなわち当品は、末世に法華経を安楽に摂受的に広めるための、根本の心得を説いたものです。

  1. 身安楽行とは、この法華経を弘通するためには、心が柔和で落ち着いて、どんな人にも平等な心で接することを言います。
  2. 口安楽行とは、口を慎み、人の悪口を言わぬことです。お題目を唱える口で、人の悪口や陰口を言ってはいけません。無信心な人とか、方便の教えを信仰している不幸な人々には、因縁譚や譬喩譚で菩提心を起こさせて、法華経の信仰に導くようにしましょう。
  3. 意安楽行とは、妬(ねた)みや阿(おもね)り、諂(へつら)いの心を持たないことを言います。人に不快の念を起こさせるような言動は慎むと同時に、仏さまに対しては慈父の思いをなし、菩薩または菩薩行をする人に対しては、自分の師たる思いで尊敬し、全ての人々に対して平等の心で妙法を説き、右にも左にも偏らない中道の心で一心に法華経を修行すれば、多くの人々から尊敬される人となることができます。
  4. 誓願安楽行とは、全ての人々に対し大慈悲の心を発して、全人類が法華経に帰依しこの世が仏国土となるよう、自分の力相応の活動をすべく誓願を立てることです。釈尊は、この法華経を信ずる人は千人が千人、万人が万人、一人も漏れず妙法経力により即身成仏できると保証されているのですから、未だ法華経に入信されていない不幸な人々を、何としても法華経の信仰に引導すべく誓願致しましょう。

「四安楽行」を実行する人に対しては、諸天はその功徳を称讃し、昼夜の別なくご守護下さるのであります。釈尊は、この「四安楽行」を説き終わられた後、更に「髻中明珠(けいちゅうみょうじゅ)の喩え」によって、法華経こそ全仏教の中で一番有難い、功徳を頂ける経典であることを説明されるのであります。

 

法華経は"髻中の明珠"である

 「髻中明珠の喩え」は「法華七喩」の第六に当り、釈尊が文殊師利菩薩に語られる形で進行します。内容をかいつまんでご説明しましょう。

 ある強国の王(転輪聖王てんりんじょうおう)が、命令一下諸国を降伏させようとしますが、諸の小国の王達は、その命に順(したが)おうとしません。そこで転輪聖王は、歩兵・騎兵・象兵等の戦力を動員して、これを討伐させました。討伐に参加した兵に対して論功行賞が行われ、その功績に応じて、土地・城・金・銀・各種宝石・衣服・象・馬・車等あらゆる財宝が与えられました。しかし、王の髻(もとどり)の中に秘蔵する明珠だけは、誰にも与えなかったのであります。何故かというと、この明珠はこの世に唯一つしかない貴重なもので、もしこれを臣下の者に与えたならば、王の一族は驚き怪しむに違いありません。しかし王は、いつかは明珠を与えるべく願っておりました。そして遂に、比ぶべきもない大功績を挙げた者が現れ、唯一つしかない大切な明珠を与えたのであります。  如来もまたこれと同じで、今日まで諸の悪魔に打ち勝った衆生に対して、賞として数々の方便のお経を説き与えてこられました。そして今ようやく時機(とき)至り、法華経という世界に二つとない至宝を説き与えられたのです。

 平安朝末期の歌僧として有名な西行(一一一八~一一九〇)は、

今ぞ知る たふとき玉をえしことは こころをみがく 髻なりけり

と、"髻中の明珠"の仏意を詠んでいます。

 

法華経は諸の因縁罪障を消滅する

 釈尊は、法華経こそ"髻中の明珠"で、諸仏如来の秘密の蔵であり、諸経の中に於ける最上の経典であるから、四十余年の長い間大事に守護して濫りに説かず、今日初めて汝等がために説くのであると申され、次のように具体的な説法をされます。
「私の滅後に法華経を説き広めようと思えば、先に述べた四安楽行を実行するがよい。法華経を読めば、諸々の憂いや悩みも消え、心身共に健康に恵まれ、人々が慕うようになるであろう。また、諸天が昼夜に守護するから、刀杖を加えられることもなく、毒で害されることもないであろう。もし、真剣に法華経を信行する人に対して、心の良からぬ人が悪口すれば、その人の口はいつか物が言えない状態となるであろう。法華経の信行者は、獅子王のごとく何も畏れるものなく、安楽に世渡りができるであろう。どんなことでも智恵の光明によってうまく処理することができ、たとえ夢を見ても恐ろしい夢は見ず、仏さまを拝むとか、仏の説法を聴聞するとか、或は自分が人のために妙法を説いているとか、人から合掌して後ろ姿を拝まれているような楽しい夢を見るであろう。また時には、金色の諸仏が妙法を説かれている法座に列り、合掌して仏徳を讃え、妙法の有難いことを聴聞し、喜んで仏に喜捨供養をなし、大衆と共に妙法を学び修行して、諸々の因縁罪障を消滅して実相を証り、深く禅定三昧に入って十方の仏を見ることもできるであろう。誰とも仲良く、人の振り見て我が身を正し、大らかな明るい心でいれば、自然に人々から尊敬されるような人格が形成され、仏智も頂けるようになるだろう。いつも妙法と共に生活すれば、健康と長寿に恵まれ、何を食べても美味で長患いもせず、薪が尽きて火が消えるように涅槃に入るであろう。私の出世の本懐、大乗仏教の真髄である法華経を人々のために説く人は、このように諸々の功徳利益を得られるのであるから、方便の教えに執着して迷うことなく、法華経の信仰に徹することが肝要である。」
ここで法華経迹門十四品のご説法が終り、次からいよいよ本門のご説法となります。 七十五代崇徳天皇は、「安楽行品」の「無量の国の中に於て、乃至名字をも聞くことを得べからず。」の文意を、

名をだにも 聞かぬ御法をたもつまで いかで契を 結び置きけん

と御製され、八十三代土御門天皇は「安楽行品」の経意を、

しづかなる 心のうちも久方の 空に隈(くま)なき 月やしるらむ

と御製されています。近衛信尹卿も

身をやすく 心をさめてのりの花 ひらくを口の ことわざにこそ

と詠じています。 
日蓮聖人は『上野殿母尼御前御返事』〔(定)一八一一(縮)一九九四(類)一〇〇〕に、

「法華経第一の巻方便品に云く、世尊の法は久しくして後、要(かな)らず当に真実を説き玉うべし。又云く、正直に方便を捨てて、但無上道を説く云云。第五の巻に云く、唯髻中の明珠、又云く、独り王の頂上に此の一珠有り。又云く、彼の強力之王の久しく護れる明珠を、今乃ち之れを与うるが如し等云云。文の心は日本国に一切経わたれり……彼彼の経々は皆法華経の眷属也。」

とご指南されています。

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