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連載《法華経は佛教の生命「仏種」である。》
―IT時代の宗教―第2章 第30話

掲載日 : 2012/10/5

妙法蓮華経随喜功徳品第十八

法華経を随喜する福(しあわ)せ寿量品の功徳を説き分ける

 当品は、「寿量品」の功徳の大なることを聞き、素直に信じて随喜すればどれだけの功徳を頂けるか、という弥勒菩薩の問いに対して、釈尊が随喜の功徳の大なることを説かれていますので「随喜功徳品」と申します。「随」とは本仏釈尊のみ教えに随うことで、「喜」とは、法華経を信ずる功徳によって成仏できる福(しあわ)せを喜ぶことであります。
まず初めに弥勒菩薩が釈尊に、「仏の在世及び滅後、男でも女でもこの法華経を聴聞して随喜すれば、どれだけの福せを得ることができますか。」と尋ねます。これに対して釈尊は、法華経を自分だけが信ずるのみでなく、法華経の有難いことを人々に説いてお導きすれば、必ず大きな功徳を頂けると申されて、有名な「五十展転随喜」の功徳をお説きになりました。

五十展転(てんでん)随喜(ずいき)の功徳

 「如来寿量品」の功徳と利益を聴聞した人が素直に法華経の信仰に入り、自分の力に応じて、未だ法華経を信じていない人に最初に語り伝えて、法華経の信仰を勧めます。それを聞いた人が、更に他の人に伝えます。このようにして、次から次へ法華経の信仰を勧めて第五十人目の人に及んでも、その人の受ける功徳は一人目の人と変りなく無限大であることを、「五十展転随喜」の功徳と申します。「展転」とは、法華経の尊く有難いことを、次から次へと伝え広めてゆくことであります。このようにして、やがて全人類を法華経によって救済し、この地球世界を仏国土とするのが法華経の教えでありますから、“法華経は宇宙時代の宗教”と言われるように、誠にスケールの大きい宗教であります。
日蓮聖人は『持妙法華問答鈔』〔(定)二八〇(縮)四七二(類)二七一〕に、

 「一念信解の功徳は、五波羅蜜の行に越へ、五十展転の随喜は八十年の布施に勝れたり。頓証菩提の教は遥に群典(一切経)に秀で、顕本遠寿の説は永く諸乗(全仏教)に絶たり。」

と、ご指南されています。お題目を唱えるだけで、方便の権経による五波羅蜜の行より遥かに勝れた功徳があり、方便の権経を信じて八十年の長い間布施の行を積むことより、法華経を信ずると同時に、他の人々に法華経の信仰を勧める功徳の方が遥かに大きい、と申されているのです。
日蓮聖人は、本化上行菩薩のご再誕として、仏勅によって日本国にご降誕になり、地球世界、すなわち全世界・全人類を救済するため、不惜身命・死身弘法で法華経を弘通されたのです。「随喜」とは、疑うことなく無条件に「信順」することであります。

随喜の功徳を頂くために

 諸経の王と言われる法華経は、日本仏教の根本精神を形成した経典であり、聖徳太子は法華経を講讃するだけでなく、註釈書として『法華義疏』四巻を著述されています。太子が書かれてから千三百七十余年も経っていますが、少しも破損せず原形のまま伝えられ、国宝として宮内庁に所蔵されており、日本書道史の劈頭に輝いています。この史実は全く随喜の功徳の致すところであります。
四十五代聖武天皇は、法華経の功徳による因縁罪障消滅のため法華滅罪寺を建立され、光明皇后は法華経一千部を書写して、先帝のご冥福をお祈りになっています。
平安時代には、伝教大師は迹門中心の法華経によって比叡山を開かれましたが、鎌倉時代に日蓮聖人は、法華経の行者として、本門「寿量品」を随喜唱題する功徳により、四海帰妙・全人類が成仏できる道を開示されたのであります。世間には、法華経は有難いお経であると知りながら、先祖からの方便の権経を捨てきれずに困っている人がいます。この人達は、法華経は良い薬だと知りながら服用せず、毎朝晩他の毒薬を飲んでいるようなものです。これらの不幸な人々を、慈心を以って折伏し、法華経の信仰へお導きすることが、法華経に説かれている随喜功徳であります。法華経こそ男女平等を貫く教えで、随喜する者は千人・万人、一人も漏らさず成仏できる経力の勝れたお経です。法華経の教えは、どんな人でも成仏できることを説いたものではありますが、法華経を随喜する心無くして他宗の人々が「回向文」の最後に、「願わくばこの功徳を以って、普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん。(化城喩品)」の一文を唱えても、それは毒の中へ薬を混入するようなもので、是好良薬とはなりません。
釈尊は「方便品」に於て「正直捨方便」と申されてから、「願以此功徳・普及於一切・我等与衆生・皆共成仏道」と誓いのことばを述べられている点を、よくよく分別し、随喜してこそ功徳を頂けるのであります。

皇室の法華経信仰の一滴

 七十七代後白河天皇は法華経のご信仰篤く、無量義経・法華経・観普賢経について『法華郢曲(えいきょく)』百五十章の御撰があり、「随喜功徳品」について、

法華経説かるる所にて 語り伝ふる聞く人の       
功徳の量(りょう)を尋ぬれば 五十随喜ぞ量(はか)りなき

と、お詠みになっています。
また赤染衛門は、

世の中に 満てし宝を得んよりは 法を聞くべき ことは勝れり

と、聞法随喜の勝れた功徳を詠んでいます。
昭憲皇太后(一八五〇~一九一四)は明治天皇の皇后で、明治天皇の大業を大いに内助なさったことは周知のところであります。御父は法華信仰の篤い一条忠香(ただよし)です。初め勝子(まさこ)と命名し、慶応三年(一八六七)女御に内定して美子(はるこ)とし、翌年入内(じゅだい)して皇后となられました。皇后もやはり法華経のご信仰篤いお方で、特に産業の奨励、女子教育の振興に力を尽され、東京女子師範学校・華族女学校の開設に尽力される等、社会事業の発展にも力を注がれました。
また漢文学・和歌・書道にも秀でておられ、「随喜功徳品」の「善友(ぜんぬ)知識(ちしき)」の文意によせて、

善き友に 交はる人はおのづから 身の行も ただしかりけり

と、お歌いになっているのみならず、“南無妙法蓮華経”と、水茎の跡麗しいご真筆のお題目が、皇室の御物として伝えられています。私は、数年前京都・大丸で「皇室展」が開かれた際、拝観の栄に浴したのでありますが、これと同じお題目一軸が、身延山にも霊宝として伝えられています。

 明治天皇が崩御なさった時、ご霊前を動こうとされず、お焼香に、お写経に、ひたぶるにご仏行を続けられた上、天皇の御柩(ひつぎ)の中へ、お念珠と妙法蓮華経の御紙符(おんしふ)をお納めになったことを拝承するのは、誠に尊き極みであります。

 大正天皇が崩御なさった時も、やはりお念珠と妙法蓮華経の御紙符(おんしふ)を納められた由、洩れ承っています。(『法華鑚仰者外伝』より抄出)

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