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連載《法華経は佛教の生命「仏種」である。》
―IT時代の宗教―第2章 第41話

掲載日 : 2018/11/30

妙法蓮華経陀羅尼品第二十六

法華経の限り無い功徳を説く


 当品の品名であります「陀羅尼」とは梵語で、「(しゅ)」と漢訳します。「呪」とは秘密語(あいことば)のことで、「陀羅尼」を義訳したものです。また「陀羅尼呪」は、梵語と漢語を重ねたものです。「陀羅尼」はまた、「総持」とも訳されています。これは「遮悪持善」の意で、権経(ごんぎょう)方便の悪を遮って、正法の法華経を持つことです。当「陀羅尼品」では、薬王菩薩・勇施菩薩・毘沙門天王・持国天王・鬼子母神・十羅利女が各々「呪」を述べて、法華経の信者を守護することを確約します。

 初めに薬王菩薩が次のような四十三の「呪」を述べました。
1.アニ 奇妙で、有難いと思う心です。「無上甚深微妙の法は、百千万劫にも値い奉ること難し。」という気持です。
2.マニ 思うところの意で、法華経は有難いと思う心は、仏のみ意に適います。
3.マネ 意念で、法華経の尊く有難いことを何時も思い浮かべることです。
4.ママネ 無意と言って、法華経の功徳で無意識のうちに、全ての行動が法に合うことです。
5.シレ 永久の意で、永遠の時の流れの中で法華経信仰の功徳が現れます。
6.シャリテ 奉修の意で、釈尊の衆生済度の活動を見習う心です。
7.シャミャ 寂静の意で、心を落ち着けて法華経を持ち法悦の生活をすれば、その人の心の中は寂光浄土となります。
8.シャビタイ 淡白の意で、何事にも執着せずに取り組むことです。
9.センテ 寂黙の意で、黙って妙法の修行を累ねることです。
10.モクテ 解脱の意で、心が妙法と一つになれば自由の境地が得られます。
11.モクタビ 済度の意で、妙法の大船に乗って迷いの岸から悟りの岸に向かい、済われることです。
12.シャビ 平等の義で、妙法の船に身を任せれば、誰でも平等に成仏できます。
13.アイシャビ 無邪の意で、素直に法華経を信ずることです。
14.ソウビ 安和の意で、心が平成になれば国も世界も平安です。
15.シャビ 12と同意です。
16.シャエ 滅尽の意で、方便の信仰に迷う心を滅すれば、涅槃の悟りが得られます。法華信仰に成りきることです。
17.アシャエ 無尽の意で、妙法の功徳は尽きません。
18.アギニ 解脱の意で、法華経の功徳で全ての人が成仏します。
19.センテ 玄黙の意で、玄妙なる法華経に帰依し、方便の教えに迷わされないことです。
20.シャビ 何物にも執らわれない心です。
21.ダラニ 「遮悪持善」の意です。
22.アロキャバシャハシャビシャニ 観察の意で、自分の思想や行動を客観的に見ることです。すなわち、自分の信仰が仏意に適っているかどうか反省することです。
23.ネビテ 光輝の意で、方便の権経に執着する心を取り除けば、自分の仏性が光ります。
24.アベンタラネビテ 恃怙(じこ)の意で、恃怙とは頼むことです。本仏釈尊のみ教えという「是好良薬」以外に、頼むべき教えの薬はありません。
25.アタンダハレシュダイ 究竟清浄の意で、仏教の結論は、方便の権経に執着する妄念を払って清浄な心、素直な心で法華経に帰依することです。
26.ウクレ 平坦の意で、法華信仰による心の平成を表しています。
27.ムクレ 高低が無いことで、26と同意です。
28.アラレ 廻旋無しの意で、方便の信仰に迷わず、無上の仏道を進むことです。
29.ハラレ 周旋する処の意で、法華経の菩薩行は自他共に蓮華のごとく、泥に染まらず清楚な花を咲かせます。
30.シュギャシ 清い目の意で、蓮華のごとく清浄な目で物を見ると、全てのものを正しく見ることができます。
31.アサンマサンビ 等・無所等の意で、「等」とは一切衆生等しく「仏性」を具えているということ、「無所等」とは「仏性」の畑に「仏種」を播くことです。すなわち、仏性の心田に妙法の種を播き、信心の肥培管理よろしく仏果を得ることです。
32.ブッダビキリジッテ 悟って度す意で、妙法の有難いことを、あらゆる人々に適応して導くことです。
33.ダルマハリシテ 法を察する意で、釈尊の教法の根本は「諸法実相」の妙法であることを、観察することです。
34.ソウギャネクシャネ 衆を合して音無しの意で、全ての人々を法華信仰に統合すれば、唱題以外の音声は無くなります。
35.バシャバシャシュダイ 説くところ鮮明の意で、仏法の真髄・結論は法華経であるという意味が、鮮明に会得され理解されることです。
36.マンタラ 壇の意で、壇とは具足の義です。法華経には、釈尊の因行果徳の功徳が具わっているということです。
37.マンタラシャヤタ 止足の意で、「足」とは満足です。法華経を信仰すれば功徳利益に満足し、方便の道場へは足止めになります。
38.ウロタウロタ 節限を除く意で、妙法の功徳によって、限り無く人々を済度する意です。
39.キョウシャリャ 音響を宣揚する意で、妙法の功徳を普く宣伝することです。
40.アシャラ 衆生の声を暁り解る意で、多くの人々の望みをよく理解することです。
41.アシャヤタヤ 文字を解る意で、仏の教えは文字となっていますが、このお経の意味を自分のものとし、了解すること、つまり日蓮聖人のごとく全仏教に精通することです。
42.アバロ 窮り有ること無しの意で、法華経の功徳は無限であるということです。
43.アマニャナタヤ 思念するところ無しの意で、心の欲するところに随って矩(のり)を踰(こ)えず、仏のみ教えに適う境地であります。

 以上、薬王菩薩の「呪」は四十三の語句でありますが、一つ一つに尊い意味があります。

 次に、勇施菩薩が十三の「呪」を述べました。
1.ザレ 晃耀の意で、釈尊の説かれた法華経の教えは、輝いて世界を明るくします。
2.マカザレ 「マカ」とは大の意で、大晃耀です。法華経の教えは日月のごとく輝いて、全人類の心を明るくします。
3.ウッキ 炎光の意で、常に修行の火を絶やさぬように心がけることです。
4.モッキ 光演の意で、法華経の教えの光を世の中に演説することです。
5.アレ 須らく来たるべし、の意で、法華経の教えのもとに集り来たるべしということです。
6.アラハテ 富章の意で、内容に富む文章で書かれた法華経はこの世の宝です。
7.ネレテ 法悦の意で、法華経を信ずる悦びです。
8.ネレタハテ 持続の意で、法華経に入信できた悦びを持続し、人に伝えることです。
9.イチニ 住止の意で、自分の心が何時でも仏の教えの中に安住することです。
10.イチニ 立制の意で、仏の教えを決まりよく実行することです。
11.シチニ 永住の意で、仏の教えの中に身を落ち着けることです。信仰の持続です。
12.ネレチニ 合すること無しの意で、誰にも迎合せず、法華経の信仰を貫くことです。
13.ネリチハチ 無集の意で、法華経は有難いというので、声無くして人が集ります。

 次に、毘沙門天王の「呪」です。
1.アリ 富有の意で、法華経の功徳の財産は大長者のごとくであります。
2.ナリ 調戯の意で、方便の戯論を調えて、真実の法華経の信仰に導くことです。
3.トナリ 無戯の意で、方便の戯論には功徳は無いのであります。
4.アナロ 無量の意で、法華経は仏の智慧と慈悲の塊であり、「寿量品」に「慧光照無量」とあるごとく、信ずる者には無量の功徳が頂けます。
5.ナビ 富めるもの無しとは、心の富を表しています。雪の塚原三昧堂に於ける、「当世日本国に第一に富める者は、日蓮なるべし。」の心境です。
6.(クナビの欠落)

 次に、持国天王の「呪」であります。
1.アキャネ 無数の意で、法華経によって救済される者は無数です。
2.キャネ 数有りの意で、世の中を無信仰で生きる人も、方便の信仰で通す人も多数です。
3.クリ 暴悪の意で、提婆のような者でも、法華経では成仏します。
4.ケンダリ 持香の意で、香りの良い匂袋を持っていると周りの人が爽やかになるごとく、正しい信行は自然に周囲の人を感化します。
5.センダリ 曜黒の意で、法華経は闇夜に輝く星のごとくであります。
6.マトウギ 𣧑祝(きょうしゅく)の意で、世の中に悪法がなくなるように、法華経で祈念することです。
7.ジョグリ 大体の意で、法華経の「諸法実相」は仏教の根本思想をなす体であります。
8.ブロシャニ 順述の意で、法華経に述べられている教えに順うことです。
9.アッチ 最勝の意で、法華経は全仏教経典の中で、最勝の王経であります。

 次に「爾の時に羅刹女有り。」とありますが、羅刹女とは食人鬼の娘で藍婆(らんば)・毘藍婆(びらんば)・曲歯(こくし)・華歯(けし)・黒歯(こくし)・多髪(たほつ)・無厭足(むえんぞく)・持瓔珞(ぢようらく)・皐諦(こうたい)・奪一切衆生精気(だついっさいしゅうじょうしょうけ)を十羅刹女と言い、鬼子母の子です。

 鬼子母は、梵語では詞利帝母(かりていも)と言い、千人の子がありました。ところが常に他人の子を奪って食べるので、釈尊はこれを戒めるため千人の子の末子、最愛の嬪伽羅(びんから)を神通力で隠されました。すると、鬼子母は気が狂ったように探し歩きましたので、釈尊は鬼子母に対し「千人の中の一人の姿が見えなくなっただけで、気が狂ったようになるのに、一人か二人しかいない子を奪われた、親の悲しみをどう思うか。」と戒められました。これにより鬼子母は断迷開悟、悔い改めて仏弟子となり、五戒を受けて法華経と行者を守護することを誓いました。

 鬼子母と十羅刹女は、次のような「呪」を述べました。
1.イデビ 是(こ)れに於てという意で、「是れ」とは凡夫の意味です。
2.イデビン 斯(ここ)に於ての意で、「斯」とは婆婆世界の意味です。
3.イデビ 1の繰り返しです。
4.アデビ 民に於ての意で、一般大衆を相手として法華経を弘めることです。
5.イデビ 1と3の繰り返しです。
6.デビ 「無我」の意で、小さな我を捨てて大きな我、例えば「自我得仏来」というような大我を意味します。
7.デビ 6の繰り返しで、8、9、10も同じです。
11.ロケ 已(すで)に興(おこ)れりの意味で、法華経が世界に広宣流布する機運が興っているという意味です。
12.ロケ 11の繰り返しで、13、14も同じです。
15.タケ 而うして立つの意で、「而して」とは、法華経の弘通に努力し、而して法華経によって立正安国となる意味です。
16.タケ 15の繰り返しです。17も同じです。
18.トケ 害を加うる無しの意です。
19.トケ 18と同じで「刀杖不加・毒不能害」の意味です。

 このように「呪」を述べた後、更に「法華経を行ずる法師を悩ましてはならない。もし、 我が「呪」に従わないで、法華経の行者を悩乱するならば、その人の頭(こうべ)が阿梨樹(ありじゅ)の枝のごとく割れるであろう。(註:阿梨樹の枝は地に落ちると必ず七つに割れる。)私達は法華経の受持者を守護し、安穏であるように、諸々の憂いを離れ毒薬をも消します。」と誓いました。それに対して釈尊は「誠に結構である。汝等は法華経のみ(・)名(・)(題目)を受持する者を護るだけでも、その福徳は無量である。況して法華経を受持し、法華経に華香(けこう)・瓔珞(ようらく)・抹香(まっこう)・塗香(づこう)・焼香(しょうこう)・旛蓋(ばんがい)・妓楽(ぎがく)を供養し、また種々の蘇燈(そとう)・油燈(ゆとう)・香油燈(こうゆとう)を供養する者を守護すれば、更に大きな功徳になるから、汝等の仲間達は、まさにこのような法師をお護りしなさい。」と申されたのであります。

 釈尊がこの「陀羅尼品」をお説きになった時、六万八千人の人々が、「無生法忍(むしょうぼうにん)」と言う円教の菩薩の悟りを得たということです。つまり、法華経の功徳を確認したのです。

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