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連載《法華経は佛教の生命「仏種」である。》
―IT時代の宗教―第2章 第43話

掲載日 : 2022/3/3

妙法蓮華経妙荘厳王本事品第二十七

二王子神通神変を以って父の王を教化す


 「妙荘厳王本事品」とは「薬王菩薩本事品」と同様、妙荘厳王の過去世の物語です。遠い昔、雲雷音宿王華智如来が光明荘厳国にご出現になった時のことです。その時代の名は、現在を「平成」と言うごとく「喜見」と呼びました。時の国王は名を妙荘厳と言い、后を浄徳夫人と申し、浄蔵・浄眼という二人の太子がありました。太子の浄蔵・浄眼は、父の妙荘厳王を仏道へ導くために、六度の菩薩行によって大神通を得、不思議な法力と福徳智慧を得ました。

 その時、雲雷音宿王華智仏は妙荘厳王を初め、一切衆生を済度するために法華経を説いておられました。浄蔵・浄眼は浄徳夫人のところへ参り、仏が法華経を説法されているから父母に聴聞するよう勧めましたところ、母は「汝等の父は、外道婆羅門の邪教の奇蹟を信じ執着しているから、できる限りの神通神変を現して、父を仏さまの所へ往詣するようにしなさい。」と申しましたので、浄蔵・浄眼の二人の太子は父王を救うため、種々の神通神変を現じます。

 まず、高い虚空に飛び上がって身の上から水を出し、身の下から火を出し、反対に身の上から火を出し、身の下から水を出し、更に虚空に満ちる大身を現じたかと思うと次は小身を現じ、空中より姿を消して地上に降りたかと思うと、水の地に入るがごとく消え、また現れて地上を歩くように水上を歩くという、種々不思議な神通神変を現しました。

 父の王は不思議さに心を打たれ、太子の浄蔵・浄眼を合掌して「汝等の師は誰か。誰の弟子か。」と尋ねました。浄蔵・浄眼が「今菩提樹下に於て、雲雷音宿王華智仏が一切衆生済度のため、法華経を説法されています。この仏が私達の師で、私達はその弟子です。」と答えますと、父の王は「私は今、汝等の師にお目にかかりたく思う。一緒に行こう。」と申しましたので、仏のみもとへ案内します。

 二人の太子は、母の浄徳夫人に「父の王は、仏の教えを信じ無上の悟りを求める覚悟ができました。願わくは母よ、私達が仏のみもとに於て出家修行することをお許し下さい。」と申して許しを得ました。そして「父上・母上、願わくは時機を失せず、雲雷音宿王華智仏のところへ参って、仏に親近しご供養して下さい。その理由(わけ)は、仏に値い奉ることは三千年に一度華咲く優曇(うどん)華(げ)のごとく、一(いち)眼(げん)の亀の浮木の穴に値うようなものです。」と申し上げました。

 この時、妙荘厳王の多くの家来や眷属、また浄徳夫人の大奥の女官達までも、悉く法華経を信仰し受持する覚悟ができました。浄蔵・浄眼の二王子は神通神変の方便力を以って、よく父を教化しました。

 そこで、妙荘厳王は法悦感謝の意を表すために、自分と夫人が頚に懸けていた真珠の瓔珞を仏の上に散らせると、忽ち虚空で四本の柱のある立派な台(うてな)となり、その台の中の立派な床に敷物が敷かれ、そこに仏が坐して身から大光明を放たれました。そして四衆に向かい、「汝等は、この妙荘厳王が見えるであろう。この王は、今までの婆羅門の邪信を改めて我が仏法に帰依し、法華経を修行して娑羅樹王仏となることができるであろう。」と申されました。

 以上のように過去世の物語を語られた釈尊は、最後に「妙荘厳王とは誰あろう、今の華徳菩薩であり、浄徳夫人は荘厳相菩薩である。浄蔵・浄眼の二王子は、今の薬王菩薩・薬上菩薩である。」と、宿世の因縁を明かされたのであります。

 釈尊が「妙荘厳王本事品」を説かれた時、法座に居た八万四千人という多くの人々が「遠(おん)塵(じん)離(り)垢(く)」と申して、心の塵や垢が離れ消えて清浄な心となり、「法眼浄」という聖者の悟りを得ました。

破邪顕正の二王子と出家

 仏教の教主釈尊は、浄飯大王の王子悉多太子であったのですが、一切衆生済度のため十九歳で出家され、十二年間の苦しい修行の結果、三十歳で成道されました。釈尊の出家・成道の年令については異説がありますが、最も確実な説は、十九出家・三十成道・五十年転法輪・八十入滅です。これは、インドで第二の釈尊と仰がれ、千部の論主と称せられた竜樹菩薩の『大智度論』の説であります。当然ながら天台大師も、伝教大師も、日蓮聖人も『大智度論』に拠られています。

 他宗の学者達は、二十五歳出家・三十五歳成道説を主張していますが、何れも『無量義経』の「四十余年・未顕真実」の破文を逃れる意図によるもので、法華経八ヶ年の説を破るための妄説に迷わされてはなりません。くれぐれも、注意が肝要です。

 当「妙荘厳王本事品」に於て、外道の邪教を信ずる父を救うために、浄蔵・浄眼の二太子が出家されたのが国王の太子が出家される手本となり、日本に於ても聖徳太子がご出家になられ、また天皇が仏門に入られて法皇となられたり、他の皇族が出家されて、み仏に仕える身となっておられます。

 法華経の積極的広宣流布の活動は、「妙音菩薩品」と「観世音菩薩普門品」で説き尽されていますが、当品では消極的に、破邪顕正と広宣流布の大切なことが示されているのであります。

 日蓮聖人は『浄蔵浄眼御消息』(定一七六九縮一九六三類一〇四一)に、
妙荘厳王と申せし王は、悪王なりしかども、御太子浄蔵浄眼の導かせ給ひしかば、父母二人共に、法華経を御信用(仰)有りて、仏にならせ給ひしぞかし。
と、ご指南されています。

 選子内親王は、「妙荘厳王品」の「一眼の亀の浮木に値えるが如く、我等宿福深厚にして、法華経に値い奉ることを得。」の一文を、
   一目にて 頼みかけつる浮木には のりはつるべき 心地やはする
と詠じられています。また、六十六代一条天皇の皇后、上東門院彰子の方も法華経のご信仰篤く、「妙荘厳王品」について、
   濁りなき 亀井の水をむすびあげて 心の塵を すゝぎつるかな
と詠んでおられます。

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