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「『成仏』とは?―聞法と信より―」

記事:布教師 廣瀬 行宣

 つい最近、気になって辞書を引いてみた。
「成仏」
1) 死して仏になる。
2) 修行によって悟りを得て仏になる。
・・・と書いてあった。

 まずい、世間とは、このように「成仏」というものを捕えているのか。お釈迦様や日蓮大聖人の「成仏」とは大きなギャップが生じているな。こうなると葬式仏教という呼称が、できるのも納得する。「法」を説く前にまずは、意識改革から始めなくてはいけないのかと思っていたが、そうでもなかった。インターネットとは便利なもので人を集めなくても多くの人に伝えることが出来る。シメタ!お釈迦様と日蓮大聖人の「成仏」とは如何なるものか。まず、お釈迦様は、「成仏」するためにはこれだけは絶対にしなければならない条件を二つ挙げられています。

 一つ目は、法華経方便品の中に「若有聞法者 無一不成仏」。法を聞く者は一人として成仏しない者はいないとある。これを聞法という。

 二つ目は、同じく譬喩品中に「尚於此経 以信得入」この経(法華経)に於いては、信じることから入らないといけませんよ。また、寿量品には「勿於此生疑」疑うことなかれ。つまり、信じなさいと仰せになっています。

 「聞法」と「信」この二つは成仏には絶対に欠かせないものであると。これは車の両輪みたいなもので、いくら信じなさいと言っても、有り難いという気持ちが湧いてこないと人は信じようとしません。その「信」を確立するためには、まず「聞法」が必要なのです。

 では、何を信じなさいとお釈迦様は仰っておられるのでしょうか。

 それは、お釈迦様の命は永遠であり今現在も皆さんを救い続けているのですよ。あなた達は、修行を積んで仏になろうとしても出来ないでしょ。だから、私があなた達の元へ往って救いましょう。と仰っています。(法華経寿量品)つまり、いつも私たちは、救われ続けているのです。その事を信じなさいと仰っています。

 しかし、我々は見えないものを信じようとはしないのです。そこでお釈迦様は大切なことを言い残されます。私は姿を隠しますが、末法(お釈迦様滅後二千年を過ぎた後)に入ったら、私が長い間、教え導いてきた上行菩薩を私の使いとして世に送り出します。上行菩薩には良い薬を持たせますから、その薬を服用しなさい(法華経寿量品)と。その予言通り法華経の行者日蓮大聖人(上行菩薩)がお題目(薬)を持ってご出現されたのです。

 つまり、日蓮大聖人が法華経に説かれたとおりお題目を持って末法の世に出現されたということは、遣わしたお釈迦様が今もおいでになる証なのです。例えば子供がお父さんの代わりにビールを酒屋さんに買いに行きました。

 酒屋さんのご主人は、今晩この子が晩酌で飲むのだなとは思いませんよね。お父さんが子供にお使いをさせているのだなと思います。その子供の所作を透して父親の存在を確認するのです。

 そして「聞法」と「信」について日蓮大聖人は次のように仰っています。
「信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給べし。行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給べし。」(諸法実相鈔)

 行学の二道に励みなさい。それは、信心より起るのですよ。行とは修行のことですが、日蓮大聖人のおっしゃる修行は世間で言う修行とは異なります。

 先にも言いましたが、信心を持ってこのお題目(薬)を他の人にも伝えることが修行なのだ。その為には、学ばないと(聞法)伝えられないよ。それが「我もいたし人をも教化候へ」なのです。この「聞法」と「信」の両輪が絶えてしまうということは、お釈迦様の命である仏法が絶えることなのです。

 ですから皆さんは「聞法」し「信心」を持って人に伝えて行かなければならないのです。そして、その伝えている姿がまさしく「成仏」なのです。お釈迦様の手となり足となって法を広めるお手伝いをしていることこそ仏そのものであります。日蓮大聖人の「立正安国論」の題名の由来は、正しく正師(お釈迦様)正法(お題目)を立てることにより安国(浄土)になるのですよと言うことなのです。 皆さんどうか、お題目を知らない方にお題目の有り難さを教えてあげて下さい。その為に僧侶は法を説きます。「聞法」して下さい。そして、まずご先祖に感謝し護法味を捧げることによって、自分の来世の寿命と幸せが確約されるのであります。

信じましょう! 南無妙法蓮華経

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