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『心のあり方』

記事:布教師 大乘寺 菅原 孔道

「日蓮は明日佐渡の國へまかるなり。今夜の寒さにつけても、籠のうちの有様思ひやられて、痛はしくこそ候へ~籠をばし出させ給い候はば、疾く疾く来り給へ。見たてまつり見えたてまつらん。恐恐謹言。」

先に述べた御文は、「土籠御書(つちろうごしょ)」という御遺文で御座います。
この御遺文は日蓮聖人が佐渡へ流される前日に、御弟子であらせられる日朗上人に送られた御手紙の一節でございます。

この御手紙で思う所は、日蓮聖人御自身が明日佐渡へ流される御身でありながら、すでに籠に入れられて居る弟子に対して、体を気遣われている日蓮聖人の思いが非常に表われている御手紙だと思われます。

なぜ、このような御遺文を引用したかと申しますと、今日の社会状況は、様々な事件、事故等が多発しています。とりわけ、その中でも子供達の犯罪、又事故等が目立っている状況であります。

以前には、子供が被害者となる事件、事故がほとんどでありましたが、現在では、その子供達が被害者となるばかりではなく加害者となる事件が多発しております。

それでは、何故このような事が頻繁に起こるかというと、人が人の気持ちを思いやる心・いたわり合う心、心の痛みを分かち合う事がだんだん薄れてきているのではないのでしょうか。

しかし、この事は子供達に限った事ではありません。私達大人にも当てはまる事でもあります。
それは、私達大人も手本とする行動が少なくなったからではないのでしょうか。非常に反省するところであります。

そこで一つ、私が最近経験したというか、心に残っている事を取りあげたいと思います。

私は現在、中学校の補導員を務めさせて頂いておりますが、先日、施設を訪問する機会がありまして、孤児院へ行った時の事であります。先生より色々なお話を伺う中で、こういうお話がありました。

それは、小学生が当時流行っていたテレビゲームがほしいということで先生に云って買ってもらった事から始まります。

最初の頃は、上級生、下級生とみんなで一緒に仲良く遊んでいましたが、日がたつにつれて上級生が一人占めをして下級生に対してそのゲームを使わせなくなってしまったのです。今までそのゲームがくる迄は、みんなで仲良く遊んでいたのにそれからは、それが原因でけんかばかりしていたそうです。

しかし、それを見ていた上級生の一人が、「今までは、みんな仲良くしていたのに、このゲームのせいでみんなけんかばかりしていたのでは何の為に買ってもらったのかわからないでしょう」と言いました。そこでみんなで話し合った結果、そのゲームを先生に返す事にしたのです。
その結果、その後は今まで通りみんな仲良く遊ぶようになったそうです。

つまり、これはどういう事かと申しますとこの子供達は相手を思いやる心、いたわり合う心を持っていたからこそ、こういう結果になったのではないかと思います。

昔にこういうことわざがあります。
「手や顔の汚れは常に洗れども、心の垢を洗う時なし」

つまり、人間というものは、なかなか自分の心を見ようとはしないものです。
美しく着かざることは出来ても、心の中を美しくすることは大変難しい事であります。
それではどうしたら、その心に溜まった垢を落とす事が出来るのかという事です。

それこそが、「南無妙法蓮華経」の七字の御題目であります。

そしてその御題目を私達は口に唱え、身に行ない、心に「法華経」の教えを打ち立てて私達の身心に溜まった垢を落とし、人間としての心を築きあげるものなのであります。
そうすれば、前に述べたような事件、又事故等は少なくなり、人間としての幸せ、又平和な時がやってくるのではないでしょうか。

その為にも、日蓮聖人がお唱えになられた「南無妙法蓮華経」の御題目を私達はこれから未来に向って永劫に唱えていかなければならないと思うところであります。

合掌

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