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「日々に合掌」

記事:布教師 妙伝寺 上川 勝清

 私のお寺の居間に、大きな鉢に入っている一本の菩提樹の木がございます。この木は、友人が、インド各地を修行した帰りに、お土産として置いて行ったものであります。この木を頂いた時は、まだ十センチぐらいの小さなものでした。

 それから、三十年余りの月日が流れました。現在は、1メートルぐらいの大きさに成長しております。いま、この菩提樹の木の枝には緑色の葉が何枚もついておりますが、二週間ほどで全て葉が落ちてしまいます。それがまた芽をふいて一週間ほど経ちますと、枝にきちんと葉がつきます。今も、その繰り返しです。この木を置いていった友人は、この世におりませんが、いつまでも、私の心の中で、この菩提樹の木を通して生き続けております。

 この頃は、人の命を大切に思わない世の中になってきております。自分の感情で人を傷つけたり、自分の思うようにならなければ、人の家に火をつけたり、あるいは、大切な命を奪ったりするなど、本当に身勝手な人達が多い。毎日が悲しい出来事ばかりでございます。

 さて、私共の檀家に一人のご婦人がいらっしゃいます。毎日お参りをさせて頂いております。
ある日、お参りが終わって、居間でお茶を頂いておりますと、その奥さんが突然、「お上人様、私はガンなんです」とおっしゃいました。「お医者さんの診断では、あと余命三ヶ月だと言われました。でも、私は負けません」という声には力がなく、下を向いてしまわれました。
私は奥様にたずねました。「何のガンなんですか」しばらくして、「食道ガンなんです。それでも、この声が続く限り、お題目をお唱え致します」と言われました。

 その後三ヶ月の余命だと言われましたが、不思議にも、その三ヶ月が過ぎてしまいました。
私は心配しながら、また、お経に参りました。そう致しますと、その奥様が玄関まで出てこられました。その姿を見て、少し元気そうに見えましたので、少し安心を致しました。

 お参りが終わって、居間で少し奥様とお話をすることが出来ました。私が「今日の気分はいかがですか」と、尋ねましたら、「今日はとっても気分が良いです」と言われました。お上人様、私の「命」は三ヶ月間しか持たないと言われましたが、おかげさまで、この「命」少し先へ延ばさせてもらっております。命をいただいた事に感謝を申し上げ、これからの命は、ご先祖様の為、子供達の為に一心にお題目をお唱えいたしますと、力強い声で言われました。

 この奥様には二人の子供さんがおりまして、ご長男の方はご家庭もきちんとしておりますので心配はないのですが、もう一人、女の子がおられます。この子は、神経症で入院しております。この娘さんの事を心配されておりました。この事を考えると夜も眠れなくなってしまいます。と泣きながらお話をしておられました。でも、娘が後々困らないように、病院へ行って長期入院の手続きをして参りました。これで、少し安心を致しました。と最後は笑ってお話しをしておられました。

 奥様は、この様な「病気」に冒されてしまいましたが、この病気を恨むのではなく、このまま受け入れて、生命が終わるまでお題目をお唱えさせて頂きます。そう言われました。その一年後六十四才で亡くなられました。

 この奥様が亡くなった後、娘さんには弟さんがお知らせをしました。でも、この娘さんは、亡き母親に焼香する為に家へも帰る事が出来、ベットの上で、大きい声で泣いていたとのお話を初七日忌のお参りの時に聞かさせて頂きました。この亡き奥様は命の続く限り、お題目をお唱えし、少しながらえたことに生きる喜びを感じ、日々の生活に合掌し、死の恐怖を、お題目で心を静かに保ち、死を迎えていったのではないかと思います。人は元気でお唱えするお題目もあれば今、死を迎える為のお題目もございます。

 私は、今日二人の為に追善回向の形でお話しをさせて頂きました。命は永遠のものであり、いつまでも、私の心の中に生きづいているものと、常に合掌させて頂いております。

 日蓮聖人の御手紙「妙法尼御前御返事」の中に「されば先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし」とございますのも、このようなことではないかと思う次第でございます。

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