ミニ法話

「立教開宗」

記事:布教師 山口英泰

 日蓮聖人は千葉の小湊でお生まれになり御歳十六歳の時、生家から程近い清澄寺で出家得度なさいました。以来二十年の間、お釈迦様の御本意を知るため、鎌倉の諸大寺、奈良、京都、三井園城寺、比叡山延暦寺と求道の旅を続けられた聖人は、清澄に帰られた建長五年(一二五三)、四月二八日早朝、昇り来る旭日に向ってお題目を始唱なさいました。これを立教開宗といいます。立教の宣言と伝道の誓願をお立てになられ、是聖房蓮長を改め、日蓮と名乗られたのです。

 立教開宗とは「法華経」の教えに立って法華宗を開いたことをいうと思われていますが、本来の意味は法華経の教えに依って「宗旨」である三大秘法のお題目を開き顕わしたことをいうのです。

 日蓮聖人は法華経を信じ、お題目を唱える宗派を作ろうと開宗の宣言をなさったのではありません。
『妙密上人御消息』の中で
『日蓮は何(いずれ)の宗の元祖にもあらず、又末葉(まつよう)にもあらず。』
と仰せであります。

 聖人はお釈迦様の御本意である法華経でお題目の中身を開き顕わされ、そのお題目で一切衆生を救済しようと決意、宣言なさったのです。それまでは求道者でありましたが、その日を境に衆生の救済者となられたのです。その思いを後ほど佐渡に渡られ、お書きになられた『開目鈔』の中で
『我日本の柱とならむ、我日本の眼目(がんもく)とならむ、我日本の大船(たいせん)とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず。』と仰っておられます。

 このときの「願」こそが、この『立教開宗』への思いであり、その内容とは「私は日本を護る主人(柱)になろう、日本の将来を見通す師匠(眼目)になろう、日本の衆生を救う親(大船)になろう」という三大誓願なのです。

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