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「幸せを願う」

 人はこの世に生を受け、誰でも幸せを願って生活しています。

 最近、親が吾が子を躾という名の下に虐待し、揚句に死に至らしめる事件が頻発していることはどう理解したらいいのでしょうか。

 また、イスラエルとパレスチナの報復合戦、イラクの混乱、世界中でテロの危険が蔓延している状態、まさに仏教で説く処の末法の時代です。このような時代に幸せを求めることは不可能な事なのでしょうか。

 これらの現象を観てみると、それぞれに言い分があるでしょうが、自己中心の『我』の張り合いのように見えます。自分の欲望を満たすため、自己の幸せのためには、他の犠牲をも顧みる事なく行動しているように思われます。仏教の『吾れ唯足るを知る』という教えを今一度学ぶことが大切ではないでしょうか。

 わたしどもは過去の行為の積み重ねの結果の『業』として、この世に存在し日々生活している訳であります。幸不幸は他人から受けるのではなく、自身が作り出して来たものと感じることが、心安らかになるのではないでしょうか。

 心を癒すための森林浴、アロマセラピーの効用が言われますが、その目的は心身ともにリラックスすることにあります。仏教はこのリラックスのことを『楽』といいます。大いなるリラックスを極楽と言います。

 仏教でいう幸せとは、心身共にリラックスすることです。日蓮聖人は『法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし。・・・・・・ただ世間の留難来るとも、取りあへ給ふべからず。賢人・聖人も此の事はのがれず。ただ女房と酒うち飲みて、南無妙法蓮華経と唱へ給へ。苦をば苦と悟り、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合わせて南無妙法蓮華経とうち唱へ居させ給へ』と言っておられます。

 苦楽ともに受け止めて、お蔭様でと感謝していくことが幸せの源だと思います。

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