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連載《法華経は佛教の生命「仏種」である。》
―IT時代の宗教―第2章 第32話

掲載日 : 2012/10/28

妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十

威音王仏と法華経

 当品は、法華経を信ずる人の功徳と悪口誹謗する人の罪報について、抽象的でなく、過去世に実現した常不軽菩薩という具体的人間像によって説かれていますので「常不軽菩薩品」と申し、「不軽品」とも略称致します。
釈尊が得大勢菩薩に対して、法華経を信じその教えの通り実行する人を謗ると、その罪報は非常に重いことを説かれ、反対に法華経の信者は、前品「法師功徳品」で説いたように、六根清浄の功徳が頂けるであろうと申されて、当品のご説法が始まります。
遥か昔の遠い過去世に、威音王如来という仏がおられました。この仏は、声聞の人には絶えず移り変る人生の無常から逃れるために、四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)の法を説かれました。「諦」とは諦観で〝さとり〟です。また、縁覚の人には十二因縁(無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死)の法を説いて、衆生が生死の海に流転する因果の道理を説明されて人生の苦しみから逃れる道を示し、菩薩に対しては六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智恵)の行を実践することによって、成仏できる道を教えられました。
しかし、四諦・十二因縁の法門は共に小乗教と言われ、自己中心の覚りを説いたもので、成仏の道ではありません。威音王仏は、菩薩行を実践することによって全ての人々が成仏できる、法華経を説いて入滅されます。そして正・像・末の三時を経て、再び威音王仏がこの娑婆世界に出現され法を説かれます。このように繰り返し反復して、二万億の仏が娑婆世界に現れますが、皆同じく威音王仏と名乗られています。

常不軽菩薩は釈尊の因行

 ところで、最初の威音王仏が入滅されて後、像法の世に常不軽菩薩という菩薩僧がありました。この菩薩は、道で行き遇った全ての人々を、男でも女でも老人でも子供でも分け隔てなく合掌しては、「私はあなたを心から尊敬し、決して軽蔑しません。あなた方は菩薩道を行じさえすれば、やがて必ず仏となることのできる尊い御身であります。」と言って礼拝しました。短気の者は馬鹿にされたと思って悪口し罵り、また中には杖で打ちかかる人、石や瓦を投げつける人もありました。しかし、この菩薩は決して腹を立てず、怒らず逆らわず、遠く離れて拝み続けたおかげで、遂に六根清浄を得て成仏し、広く法華経を説いて迫害した人々まで全て成仏せしめたということであります。
ここで釈尊はまた得大勢菩薩に対して、この常不軽菩薩は他の人ではなく自分であった と申されて、釈尊ご自身の過去に於ける菩薩行を明かされました。そして、この時常不軽菩薩を軽蔑した増上慢の徒は、千劫無間地獄の苦しみを受け終って後、法華経を信じ成仏しました。

常不軽院と常不軽菩薩

 常不軽菩薩は、どんな人に対しても手を合せて拝みました。それは、全ての人々に仏性が具わっているからです。『涅槃経』に「一切衆生に悉く仏性あり」と説かれているごとく、生命のあるものは虫魚や草木に至るまで、皆仏性が具わっているのであります。解り易い喩えを以って、仏性と仏種の違うことについてお話ししましょう。
喩えば「仏性」は田畑のようなものです。しかしその田や畑も、休耕田や休耕地では雑草が茂るだけです。豊かな実りを得るためには種をまき、肥料や水を遣って肥培管理せねばなりません。仏教の経典も、これと同じ原理であります。法華経以前の方便の権経には、一番大事な、肝心の「仏種」が説かれていませんから、いくら一生懸命にやっても、成仏の実りは得られません。
釈尊出世の本懐を説いた法華経には「仏種」が説き明かされていますから、信ずる人は全て成仏できる可能性があります。しかし、現在日本仏教の他宗の仏教学者は、殆んど「仏性」と「仏種」を混同し、恰も同一のごとく説明していることは甚だ残念です。
日蓮聖人が『観心本尊抄』〔(定)七一一(縮)九三八(類)九三〕に、

「一念三千の仏種に非ざれば、有情(うじょう)の成仏木画二像の本尊は、有名無実(うみょうむじつ)也。」

と喝破し指南されていますごとく、「仏種」は「如来寿量品」の文底に説かれた「一念三千の仏種」に限るので、この「仏種」を「本果実証の題目」と申すのであります。このことを、しっかりと肝に銘じて頂かねばなりません。
日蓮聖人は『寺泊御書』〔(定)五一五(縮)七〇〇(類)四五七〕に、

「過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品也。今の勧持品は未来の不軽品たるべし。其の時は、日蓮は即ち不軽菩薩たる可し。」

と申されているごとく、「不軽品」と「勧持品」とは表裏一体をなすもので、常不軽菩薩が杖木瓦石の迫害にも屈せず、但行礼拝の折伏行を実践されたことと、「勧持品」二十行の偈を実践された、日蓮聖人の逆化折伏行による迫害多難の忍難弘法(ぐほう)のご生涯とは、その軌を一にするものであります。
本隆寺開山日真大和尚が「常不軽院」と号されたのは、常不軽菩薩に拠られているのであります。

摂受と折伏

 仏教では、正しい道へ導く化導法として、摂受(しょうじゅ)と折伏(しゃくぶく)の二つの方法が示されています。「摂受」とは穏やかな寛容的教化法で、「折伏」とは相手の誤った邪義を徹底的に破折し、正義に帰せしめる厳格な導き方を言います。
中国に於ける不世出の大学者で、天台法華宗を開かれた天台智者大師は、「法華折伏・破権門(はごんもん)理(法華玄義九)」と申されています。権門とは方便の教えで、釈尊が『無量義経』で、「永く成仏せず」と判断された、法華経以前の経説であります。創価学会が、法華経を信じている法華宗や日蓮宗の信者に対しても折伏と称しているのは、折伏の意味と相手を間違えており、日蓮聖人の〝異体同心〟の教訓にも背く、異体異心・城者破城のものであります。

常不軽菩薩を讃えた御製と歌

 八十八代後嵯峨天皇は法華経のご信仰深く、「常不軽品」を読まれ常不軽菩薩の忍難弘法について、

あはれなり 憂きもつらきも聞きながら 堪え忍びける 人のこころは

と御製されています。
また赤染衛門は、人を見下さぬ目と心を持った常不軽菩薩を讃えて、

みる人を 常に軽めぬこころこそ つひには仏の 身にはなりぬれ

と詠み、慈鎮和尚も、

うてば逃げても拝むこころより 人を軽めぬ 名をぞ留むる

と、常不軽菩薩の礼拝行と人を軽めぬ心を詠じています。
江戸時代の歌人として有名な松永貞徳も、

のりのため 惜まざりにしいのちこそ 久しくとほき 仏とはなれ

と、不惜身命の但行礼拝によって六根清浄の功徳を得て成仏した、常不軽菩薩を讃えています。
このように、常不軽菩薩は全く見ず知らずの他人に対してばかりでなく、自分に迫害を加える人に対しても、その人を拝んだのであります。ですから私達は、一番身近な自分の最愛の妻を、最愛の夫を拝めないはずはありません。夫婦が互いに拝み合い、人と人とが互いに拝み合えば、自然に家庭も地域社会も明るくなり、やがて国家が平和となり、更に世界人類の平和も夢ではありません。昭和六十二年(一九八七)は、伝教大師が迹門の法華経の精神で比叡山を開かれてから千二百年目に当り、八月三日と四日の両日、世界平和を祈って宗教サミットが比叡山で開かれ、私達も参加しました。合掌と唱題行によって、地球世界が仏国土となるように願って止みません。
日蓮聖人は『日妙聖人御書』〔(定)六四三(縮)八六一(類)一〇六二〕に、

「不軽菩薩は多年が間、二十四字の故に無量無辺の四衆に、罵詈毀辱(めりきにく)・杖木瓦石(じょうもくがしゃく)・而打擲之(にちょうちゃくし)せられ給き。所謂二十四字と申すは、我深く汝等(なんだち)を敬ふ。敢て軽慢せず。所以(ゆえ)者何(いかん)となれば、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし(二十四字は、原漢文)云云。かの不軽菩薩は今の教主釈尊なり。」

とご指南されています。

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