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連載《法華経は佛教の生命「仏種」である。》
―IT時代の宗教―第2章 第36話

掲載日 : 2016/09/06

妙法蓮華経嘱累品第二十二 (下)

三智慧と起顕竟の法門

 釈尊は「如来は大慈悲有りて、諸の慳恡(けんりん)(惜しむ心)無く、亦畏るる所無くして、能く衆生に仏の智慧・如来の智慧・自然の智慧を与う。如来は是れ一切衆生の大施主なり。汝等亦応に随ひて如来の法を学すべし。慳恡を生ずること勿れ。」と申されて、大慈悲を根本として法華経を信ずる一切衆生に、仏の智慧・如来の智慧・自然の智慧を与えて下さるのであります。「仏の智慧」とは、宇宙の本源を見極め、迷える一切衆生を法華経の信仰に導く、毎自作是念の大慈悲の智慧であります。「如来の智慧」とは真如の智慧で、絶対不変の諸法実相の真理のことで、恰も明月が闇を照らすように、妙法の光明によって衆生の心の迷いを破ることを言います。「自然の智慧」とは、法華信者には、その人その人に応じて必要な智慧が湧くことを言います。

  釈尊は仏の智慧・如来の智慧・自然の智慧を、惜しむことなく法華経を信ずる者に施す大施主であります。そして「汝等仏弟子も仏のごとく大慈悲を根本として、妙法の大智慧の光明を一切衆生に施すことを惜しんではならない。」と申されました。諸の菩薩達は、この仏の語を聞いて歓喜し、頭を低(た)れ合掌して仏に向かい「世尊の仰せの通りに致します。どうぞご安心下さい。」と声を揃えて、三度繰り返して申し上げました。そこで釈尊は、十方より来集した分身の諸仏と本化地涌の菩薩に対し、「還帰本土(げんきほんど)」すなわち本来の国土へお引き取り下さるよう申されて虚空会(こくうえ)のご説法が終り、多宝塔が閉じられて、もとの霊鷲山へ法座が移ります。

  これについて、日蓮聖人は『新尼御前御返事』[(定)八六七(縮)一〇九一(類)一〇七三]に、
宝塔品より事をこり(起)、寿量品に説き顕し、神力品・属累に事極(竟)て候。
と、ご妙判されています。これを古来の学者は「(き)・顕(けん)・竟(きょう)の法門」と呼んでおり、大変重要な教義であります。


宗良親王及び菅公と定家卿

 宗良(むねなが)親王は九十六代後醍醐天皇の第八皇子で、後醍醐天皇と同様法華経のご信仰篤く、「嘱累品」をお読みになって、
    末のよを 思ふ仏の勅(のり)なれば われらがためぞ いともかしこき
と詠じておられます。

  菅原道真(八四五~九〇三)は、学問の神さまとして広く崇められておりますが、漢学者で経史に詳しく、詩文・和歌・書道に勝れ、著書に『類聚国史』・『菅家文草』・『菅原後草』・『新撰万葉集』等があります。熱心な法華経の信者で、法華経二十八品について和歌を詠んでいます。藤原時平の讒言(ざんげん)によって筑紫の太宰府(だざいふ)に流される際に、宮廷の馥郁たる梅花を見て、
    東風ふかば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ
と「嘱累品」のこころを詠んでいます。格調高い歌として大変有名であります。

  藤原定家(一一六二~一二四一)は、鎌倉初期の公家で権中納言まで進みました。歌人で『新古今集』の撰者として有名ですが、家集に『拾遺愚草』、日記に『明月記』があります。やはり熱心な法華経の信者で、『明月記』によれば、『無量義経』・『妙法蓮華経』・『観普賢経』を書写しています。定家は、「小倉百人一首」の撰者とも伝えられています。「嘱累品」を詠んだ歌に、
    三たびなづる 我が黒髪の末までも ゆづる御法を ながく頼まん
があります。

日蓮聖人は『種種御振舞後書』[(定)九六九(縮)一三九六(類)三九七]に、
(そもそ)も今の月天は法華経の御座に列(つらな)りまします名月天子ぞかし。宝塔品にして仏勅(ちょく)をうけ給ひ、嘱累品にして仏に頂(いただき)をなで(摩)られまいらせ、世尊の勅の如く当に具(つぶ)さに奉行すべしと、誓状をたてし天ぞかし。仏前の誓ひは、日蓮なくば虚(むなし)くてこそをはすべけれ。今かゝる事出来せばいそぎ悦びをなして、法華経の行者にもかはり、仏勅をもはたして誓言のしるし(験)をば、とげ(遂)させ給ふべし。
と、「嘱累品」の摩頂付嘱による仏勅奉行を促されています。

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