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連載《法華経は佛教の生命「仏種」である。》
―IT時代の宗教―第2章 第37話

掲載日 : 2016/12/13

妙法蓮華経薬王菩薩本事品第二十三(上)

薬王菩薩の本事を説いて法華経の信仰を勧む

 当品は、本門正宗分である「寿量品」の功徳を他人に対して説く、化他流通分です。

本事」とは、菩薩の前世の物語りで、「本生」とは仏の過去談であります。この品は、薬王菩薩の過去の事蹟を物語った内容ですから「薬王菩薩本事品」と申します。

 まず、宿主華菩薩が釈尊に対し、「薬王菩薩とは如何なる菩薩で、どうしてこの娑婆世界で遊行なさっているのでしょうか。」と問いましたので、釈尊がこれに答えて薬王菩薩の来歴についてお述べになったものです。

 その昔、日月浄明徳如来という仏さまが法華経を説かれた時、その教化を受けた中に、一切衆生喜見菩薩がいました。この菩薩は、永い年月に及ぶ難行苦行の結果、現一切色身三昧を得ました。現一切色身三昧とは、普賢三昧とも言い、一切衆生に対応してどんな身体でも現すことができる神通力のことです。喜見菩薩は、この三昧の力を得たのも日月浄明徳如来から法華経を聞くことを得た功徳であると、日月浄明徳如来と法華経に、できる限りの供養をしようと決心して入定しました。入定とは禅定に入ることで、考えることです。すると不思議にも、虚空から曼荼羅華・魔訶曼荼羅華・栴檀の香りが、雨のごとく降り注ぎました。そこで喜見菩薩は、自分の身体を仏と法華経に捧げ供養するため、あらゆる香油を飲み、身体にも香油を塗って体の内外を清め、日月浄明徳仏の前で法衣を纏い、深重の仏恩に謝すべく自身の身体に火をつけました。その光明は、赫々として無数の世界を照らしました。その時、諸仏は同時に喜見菩薩を称讃され、菩薩の身体は千二百年燃え続けて、遂に焼け尽きてしまいました。

 しかし、この喜見菩薩は再び日月浄明徳如来のもとに、浄徳王という国王の子として生れました。そして、父の王に勧めて仏を供養させ、自身も仏を礼拝讃歎しました。その時日月浄明徳如来は、既に涅槃が近いことを知り、喜見菩薩に「我入涅槃の後は、仏法と我が舎利は、悉く汝に付嘱す。」と言って入滅されました。喜見菩薩は栴檀を以って仏身を荼毘(だび)に付し、舎利を収取して八万四千の宝甕に納め、八万四千の宝塔を建てて仏舎利を供養しました。それでもなお満足せず、この宝塔の前で仏舎利供養のため百福荘厳の臂を燃すこと七万二千年、遂に両臂焼け尽し、その結果無数の人々に菩提心を起こさせ現一切色身三昧を得させました。しかし、その教化を受けた菩薩・天・人・阿修羅等は、喜見菩薩の両臂の無いのを見て「我等の師は仏舎利を供養して、不具の身となってしまわれた。」と言って歎き悲しみました。

 その時、喜見菩薩は大衆の中に立ち、次のような誓いを述べました。「私が臂を失ったことを歎いてはならない。私は必ず仏のような金色の身となるであろう。もしそれが偽りでなければ、私の両臂を元のように戻して下さい。」すると、忽ち両臂が完全に元に戻るという奇蹟が現れ、三千大千世界は六種に震動し、天上からは宝華が降り、一切の天人は未曽有の出来事に驚歎しました。

 釈尊は宿王華菩薩に対し、この一切衆生喜見菩薩こそ、今の薬王菩薩であると申されました。そして、法華経を信じ護持する功徳の大なることをお説きになり、薬王菩薩は法華経護持のために身命財を供養した法華経の信者、護持者の活模範として、その「本事」を説明されています。今日、ベトナムに於ける仏僧達の焼身自殺は、この薬王菩薩の焼身供養に擬したものと思われます。

 釈尊は薬王菩薩の「本事」によせて、妙法の真理の光明によって天地を照らすことは、他の一切の供養に勝れていることを教えられました。そして喜見菩薩の両臂が忽ち復元したことで、法華経の摩訶不思議な功徳を証明すると同時に、献身的に法華経護持を誓った薬王菩薩の「本事」を説いて、法華経の信仰を勧められています。


十喩によって法華経の最勝最尊を説く

 更に釈尊は、次に掲げる「十喩」を以って、法華経が諸経の中で一番勝れており、尊く有難いことをお述べになります。

 第一喩 一切の川や江河、諸水の中で海が第一なるごとく、法華経が最も深く大なり。
 第二喩 あらゆる山の中で須弥山が第一のなるごとく、法華経が最上なり。
 第三喩 衆星の中で月が一番明るいごとく、法華経は諸経の中で照明第一なり。
 第四喩 日天子(太陽)が諸の闇を除くがごとく、法華経は能く一切の不善の闇を破す。
 第五喩 諸の小王に対して、転輪聖王は須弥山の四州の王である。即位の時天より輪宝を感得し、その輪宝を転じて悪魔等を降伏するので転輪王とも輪王とも略称する。輪宝に金・銀・銅・鉄の四種あって、金輪王は四州、銀輪王は東西南の三州、銅輪王は東南の二州、鉄輪王は南閻浮提の一州を統治する。法華経も諸経の輪王なり。
 第六喩 帝釈天は三十三天の中に於て王なるごとく、法華経は諸経の中の王経なり。
 第七喩 大梵天は一切衆生の父なるごとく、法華経は一切の学・無学に対して菩提心を発さしめる父なり。
 第八喩 一切の凡夫人の中で阿羅漢が第一なるごとく、法華経は諸経の中で第一なり。この第一の法華経を受持する者も、一切衆生の中で第一なり。
 第九喩 一切の声聞(しょうもん)、殊に辟支仏(びゃくしぶつ)「縁覚」は、仏の無い世界に出て飛花落葉等の現象を見、これを縁として空理を悟るので「独覚」とも言う。声聞と縁覚を二乗とも言う。これに対すれば菩薩は勝れているごとく、法華経は諸経の中で第一なり。
 第十喩 仏は諸法の王なるごとく、法華経は諸経の中の王なり。


以上を「薬王品」の「十喩」と言い、大変有名であります。

 日蓮聖人は『三種教相』[(定)二二四七(縮)一六四(類)一一八〇]に、
薬王品には、今経(法華経)の一代に勝ることを、十喩を挙て称歎し、天台は六喩を以て釈し、妙楽は十双を以て釈し、伝教は十勝を以て釈す。この中に即身成仏は、今経(法華経)に限ると見えたり。
と、ご指南されています。

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