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連載《法華経は佛教の生命「仏種」である。》
―IT時代の宗教―第2章 第38話

掲載日 : 2017/11/30

妙法蓮華経薬王菩薩本事品第二十三(下)

法華経の功徳は火不能焼


 続いて釈尊は法華経の現証大利益について、次のような具体例を挙げて力説されます。

 「清涼の池が渇きを癒すがごとく、寒きに火を得たがるがごとく、裸の者が衣を得たるがごとく、商人の買い手を得たるがごとく、子の母を得たるがごとく、川を渡るに船を得たるがごとく、病める人々が医師を得たるがごとく、暗き時に灯火を得たるがごとく、貧しき人々が宝を得たるがごとく、……。」そして、法華経を受持し読誦し人のために説く功徳は、「火も焼くこと能わず、水も漂わすこと能わず。」と、法華経の摩訶不思議なる大功徳を説かれています。

 その昔、聖武天皇の御代に、紀伊の国(和歌山県)の牟婁郡に、牟婁(むろ)の沙弥(しゃみ)という男がいました。この男は、髪を剃り袈裟を着けて沙弥(仏門に入ってはいても、修行の未熟な僧)と称してはいましたが、日常の行動は全く俗人と異ならず、日夜家業に励み、妻子を養うことに精を出している有様でした。

 しかし或る時、男は一念発起して法華経を書写し、仏前に奉納して供養することを計画、まず写経する場所を設け、精進潔斉してその部屋に入り、心を澄ませて一文字ずつ書写してゆきました。トイレに立って再びその部屋に入るときには、必ず沐浴(もくよく)するほどの精進ぶりで、全巻終えるのに六ヵ月を要しました。できあがった法華経の供養を済ませると、漆塗(うるしぬ)りの箱に納めて家の中の清浄な場所に安置し、時々取り出しては読誦していました。ところが、神護景雲三年(七六九)五月二十三日の正午頃、沙弥の家が火事となり、建物は勿論のこと道具類等もすっかり焼けてしまいました。法華経も焼失してしまったものと諦めていたところ、まだ熱い灰の中に、経箱が無傷で残っているではありませんか。奇異に思いながら箱を取り出して蓋を開けてみると、何と、中には法華経がそっくりそのままの姿で残っていた、ということです。この奇跡を伝え聞いた人々は、競うように訪れて拝んだそうであります。

 この説話は『日本霊異記』に見えており、『今昔物語集』には「一心ヲ至シテ写シ奉ル経ナレバ、殊ニ霊験ヲ施シ給フ事、既ニ如此(かくのごと)シ」とされ、人が仏像を造ったり写経したりする場合には形式的であってはならず、沙弥のように心を込めてすべきである、と戒めのことばを添えています。

 なお、本隆寺の末寺である妙好庵(福井県鯖江市下河端町)には、江戸時代の「不焼御本尊」が霊宝として伝えられています。寺伝によれば、――ご本尊をお掛けしてお講当番を勤めた某家から出火、家も家財道具も焼失し、当然お曼荼羅も焼けてしまったものと思っていた。ところが隣村から、焼けた家の屋敷の巨木の梢に、毎夜ピカピカ光るものが見えるというので、気味悪がって調べてみると、お曼荼羅の「南無妙法蓮華経」の七字が風でヒラヒラしているのを発見、村人たちはお曼荼羅の摩訶不思議な奇跡霊験を眼の当りに拝し、以来「不焼御本尊」と称して尊崇されている。 ――これは「薬王品」 の「火不能焼」のお経文を実証する、誠に有難い霊験譚であります。


世界第一の良薬


 日蓮聖人は『法華取要鈔』〔(定)八一四(縮)一〇四〇(類)二三五〕に、
 「寿量品に云く、是の好き良薬を今留めて此(ここ)に在(お)く等云云。……薬王品に云く、我が減度の後、後ちの五百歳の中に、広宣流布して閻浮提に於て、断絶せしむること無ん等云云。 又云く、此経は則ちこれ閻浮提の人の病の良薬なり等云云。……諸病の中には、法華経を謗ずるが第一の重病也。諸薬の中には南無妙法蓮華経は第一の良薬也。
と、ご指南されています。

 二十一世紀は〝心の時代〟と言われています。身と心の病を治す「是好良薬」は、法華経であると断言された釈尊のおことばを、しっかり噛み締めねばなりません。

 聖徳太子の時代から現代に至るまで、法華経は日本文学のバックボーンを成しています。九十五代花園天皇は法華経のご信仰篤く、「薬王品」の「是真精進・是名真法・供養如来」の一文によって、
   つばめ鳴く 軒端のゆふ日かげ消えて やなぎに青き 庭のはる風
と御製され、九十六代後醍醐天皇も「薬王品」について、
   おのづから 人の心の隈(くま)もあらば さやかに照らせ 秋の夜の月
と御製されています。

 日蓮聖人は『日女御前御返事』〔(定)一五〇九(縮)一七二九(類)一一〇八〕に、
 「薬王品と申すは、昔喜見菩薩と申せし菩薩、日月浄明徳仏に法華経を習はせ給ひて、其師の恩と申し、法華経のたうとさと申し、かん(感)にたへかねて萬の重宝を尽くさせ給ひしかども、なを心わかずして身に油をぬ(塗)りて千二百歳の間、当時の油にとうしみ(燈心)を入れてた(焚)くがごとく、身をたいて仏を供養し、後に七万二千歳が間、ひぢ(臂)をともしび(燈)としてたきつくし、法華経を御供養候き。
と、ご指南されています。

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