法華宗について
法華宗真門流ホーム > 法華宗について > 法華経とは > 法華経は佛教の生命「仏種」である。第2章 第39話

連載《法華経は佛教の生命「仏種」である。》
―IT時代の宗教―第2章 第39話

掲載日 : 2018/1/31

妙法蓮華経妙音菩薩本事品第二十四

求道者は敬虔なれ


 前品「薬王品」では、薬王菩薩が法華経護持のために身命を捧げ尽した功徳によって、衆生済度のためにどんな姿でも現すことのできる、現一切色身三昧を得たことが説かれていました。当品の妙音菩薩は、遥か遠い東の国の菩薩で、釈尊の化導を助けるために娑婆世界を訪ずれるのですが、その妙音菩薩の、現一切色身三昧の具体的な現れ方について述べられていますので、当品を「妙音菩薩品」と申します。

 当品の初めの部分に、釈尊に礼拝供養し、文殊師利菩薩や薬王菩薩に会うために、娑婆世界に行きたいと申し出た妙音菩薩に対して、その師である浄華宿王智仏が訓誡されるという形で、求道者の心得が説かれています。浄華宿王智仏は、「娑婆世界は穢れも多く、菩薩達も汝ほど端正で福相に充ちてはいない。しかし、どのようなことがあろうとも仏や菩薩達を初め、娑婆世界全てに対して、決して軽蔑の心を持ってはならない。」と申されました。苟も法を求める者は全て、何時でも何処でも誰に対しても、敬虔でなければなりません。


妙音菩薩の三十四身を現すは寿量本仏の神通活動


 「薬王品」の説法が終わると、釈尊の肉髻(にくけい)と眉間の白毫相から光を放って、東方にある無数の諸仏の世界を普く照らされました。その先に浄光荘厳国という国があり、浄華宿王智仏と申される仏が、多くの菩薩大衆に囲繞されてご説法されておりました。その菩薩達の中に、諸の善根功徳を積み累ねた結果、十六の三昧を得たという妙音菩薩がおられました。「三昧」とは、心が法華経に集中して散乱しない姿です。


 第一 妙憧相(どうそう)三昧 妙憧とは袈裟のことで、衣を纏い袈裟を懸けることによって、心がシャンと引き締まります。      
 第二 法華三昧 法華経の即身成仏・娑婆即寂光土の義を体得しますと、何時でも何処でも、正しい判断と正しい行いが自然にできるようになります。これを目標にして精進するのが、法華三昧であります。     
 第三 浄徳三昧 浄行とは菩薩の六度の修行のことで、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・知慧という、六つの修行の結果得られる立派な徳です。     
 第四 宿王戯(け)三昧 宿とは久しく共にあるという意で、王戯とは王のごとく自由にふるまう意であります。     
 第五 無縁三昧 自分に直接縁の無い者でも、縁の有る者と同様に救済する、広大な慈悲の心であります。     
 第六 智印三昧 自分の持っている智慧により、他の人にも法華経は有難いという印象を与えることです。     
 第七 解(げ)一切衆生語言(ごごん)三昧 全ての人々のことばを聞いて、よく理解できることです。     
 第八 集一切功徳三昧 扇の要のように、全ての功徳が行者の一身に集中する功徳です。     
 第九 清浄三昧 心が清く雑念無く、法華経の修行に打ち込むことです。     
 第十 神通遊戯三昧 どのような境遇の中にあっても、その境遇に左右されることなく、明るく楽しい環境に変えてゆく力であります。     
 第十一 慧炬(えこ)三昧 「炬」とは大きな火という意味で、どのような暗いところでも火を燈せば明るくなるように、智慧の〝ともしび〟が明るく盛んになるよう努めることです。     
 第十二 荘厳三昧 自分も仏さまのように、立派な徳を身に飾るよう努めることです。     
 第十三 浄光明三昧 自分の清浄な徳の光が、周囲を浄化することを目標に努力することです。     
 第十四 浄蔵三昧 蔵に物を納めるごとく、自分の心の中に浄い徳を蓄えることです。     
 第十五 不共(ふぐ)三昧 仏徳のように、他の世俗のものと比べられない勝れた徳を積むべく誓いを立て、修行に励むことです。     
 第十六 日旋(にっせん)三昧 その智慧の光で衆生を導ける身になるべく、修行に励むことであります。

 以上のような十六の三昧力を妙音菩薩は得られ、三十四身を現じて、娑婆世界の一切衆生をお救い下さる、と説かれています。

 「三十四身」とは、①梵王 ②帝釈 ③自在天 ④大自在天 ⑤天大将軍 ⑥毘沙門天王 ⑦転輪聖王 ⑧諸の小王 ⑨長者 ⑩居士 ⑪宰官 ⑫婆羅門 ⑬比丘 ⑭比丘尼 ⑮優婆塞(うばそく) ⑯優婆夷(うばい) ⑰長者の婦女 ⑱居士の婦女 ⑲宰官の婦女 ⑳婆羅門の婦女 ㉑童男 ㉒童女 ㉓天女 ㉔竜 ㉕夜叉 ㉖乾闥婆(けんだつば) ㉗阿修羅 ㉘迦楼羅(かるら) ㉙緊那羅(きんなら) ㉚摩睺羅伽(まごらが) ㉛地獄 ㉜餓鬼 ㉝畜生 ㉞王の後宮に於て女身――なのでありますが、これらを時に応じ所に応じて現じ、法華経を説いて一切の衆生を教化されるという訳です。前品「薬王品」、当品「妙音品」、そして次品「普門品」で説かれる観世音菩薩の普門示現も、全て寿量本仏釈尊の「如来秘密・神通之力」の発現であり、如来の説法教化・神通活動の無限なることを証明するものであります。

 このように、前品「薬王菩薩本事品」に説かれた現一切色身三昧の実際の姿を、この「妙音菩薩品」で説かれています。そして妙音菩薩は釈迦牟尼仏と多宝仏塔をご供養し、自分の本土にお帰りになりました。この時、経たところの諸国が六種に震動し、宝蓮華が雨のように降り、百千万億の種々の妓楽を奏でて大歓迎しました。妙音菩薩は本国に帰ってから、自分を取り巻いていた八万四千の菩薩と共に浄華宿王智仏のもとに参り、「世尊、私は娑婆世界に到り衆生に利益を与え、釈迦牟尼仏にお目にかかって多宝仏塔を礼拝供養し、また文殊師利菩薩にお会いした他、薬王菩薩・得勤(とくごん)精進力菩薩・勇施菩薩等にもお目にかかりました。そして、これら八万四千の菩薩にも現一切色身三昧を得させました。」と申し上げました。

 こうして当「妙音菩薩品」が説かれた時、四万二千人の勝れた人々が「無生法忍(むしょうぼうにん)」を得ました。「無生法忍」とは、物に動かされない悟りの境地で、一切のものが不生不滅であることを認識することです。『大智度論』巻第五十に「無生法忍とは、生滅無き諸法実相の中に於て、信受し通達して、無礙(むげ)不退なり。」とあるごとく、妙法の有難いことが認識されてきた状態です。華徳菩薩は法華三昧、すなわち即身成仏・娑婆即寂光土の義を体得しました。このようにして妙音菩薩も、釈迦牟尼仏を中心とした法華経の信仰を勧められているのであります。


選子内親王と藤原俊成


 選子内親王は村上天皇の第十皇女で、紫式部に『源氏物語』を創作せしめられた偉勲のある御方であることは、「涌出品」のところで触れました。熱心な法華経信者であられた内親王は、妙音菩薩の三十四身の示現について
   かくばかり 厭ふうき身を君のみぞ 法のためにと 成りかはりける
と詠じておられます。

 また藤原俊成(しゅんぜい)(一一一四~一二〇四)は、後白河院の院宣によって『千載和歌集』二〇巻を撰した、当時の歌道界に於ける長老で、幽玄体の歌を理想とし、保守・革新を統一して二条家歌風を大成した歌人であります。「妙音菩薩品」については、次のような歌を遺しています。
   あらき海 きびしき山のなかなれど 妙なる法は へだてざりけり
   和歌のうら 波に年ふるもろ人も 法のうき木に 今日も逢ひぬる

 日蓮聖人は『日女御前御返事』〔(定)一五〇九(縮)一七二九(類)一一〇八〕に、
妙音品と申すは、東方の浄華宿王智仏の国に、妙音菩薩と申せし菩薩あり。昔の雲雷音王仏の御代(みよ)に妙荘厳王の后(きさき)浄徳夫人なり。昔法華経を供養して今妙音菩薩となれり。釈迦如来の娑婆世界にして、法華経を説き給ふにまいりて約束申して、末代の女人の法華経を持ち給をまもるべしと云云。
とご指南されています。       

法華経とは トップへ戻る

このページのトップへ ▲